Woo!(ウー)

ドキュメンタリー映画『みんなの学校』を観て~”育てる”ことについて思ったこと

皆さんこんにちは。Woo!シェアリストの小野曜です。先日家族で『みんなの学校』というドキュメンタリー映画を観に行きました。子供が通う小学校に対して「ん???」と思うことがちょこちょこあったので、家族全員で「よその学校を知ろう」と出かけたのですが、子育てはもちろん、仕事における人育て、チーム作りにも役立ちそうな気付きがありました。

印象に残ったシーン

別の学校で不登校になり映画の舞台となった小学校に転校してきた子(Aくん)が教室を飛び出します。
Aくんは、ある教科のプリントかテストの問題の答えに「わからない」と書いたのを、隣の席の子(Bくん)に「わからんって書いたらあかん」と注意されたことに激昂して教室を飛び出しました。

Aくんから教室を飛び出した理由を聞いた校長はAくんと一緒に教室に行き
「(Bくんに対して)あんたはわかる。けど、この子(Aくん)はあんたと同じようにはわからへん、あんたと同じようにはできへん。だから、この子にとっては「わからん」と書くのが正解なんや。あんたの基準で「わからんて書いたらあかん」というたらあかん」と諭していました。

この場面はAくんとBくんとが謝りあうところで終わりましたが、映画の中には、「100m泳げる子はさらに長く、または速く泳げるように頑張る、泳げない子は浮けるように頑張るという具合に、できる子もできない子も、その子なりに自分自身を成長させることが大事だと思っている」という趣旨のことを、校長先生が語る場面がありました。

なので、Bくんを諭した時、校長先生はBくんが「わかる子」であるということ認めていることを伝えた上で、「自分がわかることがわからない子もいる」ということを教え、さらに「自分ができることができない子を非難するのではなく、その子が「わかる」ようになるために自分は何ができるのか」を考えさせるように導いていることが推し量られました。

育てること、育つこと

自分が、あるいは多くの人が普通にできること、わかることが、できない、わからない人だっています。
そのような人のことを「ダメな人」「努力が足りない」と非難するのではなく、「自分や他の人と同じようにできるように、分かるように、自分ができることは何か」。

そんなこと私は学ばなかったし、考えさせられませんでした。少なくとも私は、「みんな同じ。だから、誰もが努力すればみんな同じことができる」と教えられて育ったし、たぶん、今も多くの学校ではそう教えていることでしょう。
でも、本当は「みんな、違う」のであり、多くの人と同じように努力しても多くの人と同じようにはできない人もいるし、そもそも同じ努力をすることができない人だっています。
この映画はそれを教えてくれましたし、私は、それを今、学び、気づくことができて、よかったと思いました。

恥ずかしながら、これまで私は自分ができること、わかっていることができない人、わからない人をどこかで「努力が足りない」などと見下す気持ちを持っていました。遅まきながら今やっと、自分や多くの人ができること、わかることができない人、わからない人もいることが理解できました。

これからはわからないことやできないことを責めるのではなく、「この人がわかるようになる/できるようになるために、自分は何ができるのか」を考えよう。それは、できない人やわからない人を責めるよりよほど、自分を成長させ、相手も育てることになる。それは、育てる相手が子供であろうが、仕事する仲間であろうが同じこと。そして、自分もそうやって育ててもらいたい。
そう考えるようになりました。

教育関係の仕事をしているわけではない私がこの映画を見たのは、子どもから学校のことをいろいろ聞いていたからでした。
子どもがいるということは、ともすれば働く上の制約、ハンディを負うことと思うこともなくはありません。けれども、子どもに付き合うことから開ける世界もある、得られる学び、気づきもあると、今回改めて感じました。

私は2児の母ですが、子どもの時間は待ってくれませんし、子どもが育つ時間の中に、親にとって大事な気付きが埋まっていると思います。
子どもを育てていると、追いかけられないことや諦めないといけないこともあるけれど、子どもにしっかり付き合うことで、そうしなければ気付けなかった学び・気付きもあるのだから、せっかくならそんな気付きや学びをいっぱい、ゲットしたいものですね。