働く女性の皆さんこんにちは。毎回大好評の、女性が活躍するベンチャー企業の社長インタビュー。今回のゲストは、株式会社サウンドプランの迫中智信社長。「商業施設活性化運営」のスペシャリスト集団として、施設のコンセプト作りやイベント企画・集客、広報活動まで、トータル的にプロデュースできる仕組みを持つことを強みとする会社です。「運営に携わった施設は必ず活性化し業績があがる」と口コミで話題になり、日本全国から依頼が殺到するサウンドプラン。カギを握るのは、女性が持つ消費者感覚や視点だとして、女性社員さんも積極的に採用され、今や女性社員比率は3割を超えています。そんなサウンドプラン創業者の迫中社長にお話を伺いました。
1.迫中社長の子育て論と、現在の基礎になっている若手時代の経験について
(ペットボトルのお水を飲まれる姿でさえ、紳士で爽やかな迫中社長。)
ー高野:本日はよろしくお願いいたします。いきなりなのですが…迫中社長はそのお若さで、高校2年生と小学校6年生のお子さんを持つ父親でいらっしゃいますが、子育てにあたり、大切にされていることを教えて頂けますか?
ー迫中:そうですね…僕は常々「目標や目的を持つことの大切さ」を伝えています。「何となく好きなことをする」より「自分はどうなりたいのか」があるからこそ、取組むこと全てが意味を持つようになると思っているからです。
実は、高校2年生の長男は「将来はパパの会社の後を継ぐ!」と言っています。「目標を持つのはいいけど、うちの会社は世襲じゃないからな。実力無かったら継がせへんからな。」と伝えてはいますが…(笑)
彼には「父親の会社の跡を継ぐ」という大きな目標があるので、その為に今の自分に何が足りなくて、何をしなければならないかを考えて動いているようです。そばで見ていても成長を感じますね。
子どもの頃から色々な経験をしたらいいと思いますし、親は子どもの行動が目標に対してずれていた場合に、そっと軌道修正してあげるだけでいい。
息子は今までに中学受験をしたり、ホームステイに行ったりもしましたが、それも全部自分で決めていました。…とはいえ、自分で決めたと思えるようにこちらが誘導した部分も若干あるかな(笑)
ー高野:素晴らしいですね。最近は、後継者問題で事業承継に悩まれる会社が多いとお聞きします。そんな中で「パパのようになりたい!」とお子さんに思ってもらえるなんて、親冥利に尽きますね。
ー迫中:はい、嬉しいですね。でもこれは、僕が仕事で留守の間に、妻が僕のことを子どもたちにちゃんと伝えてくれているからだと思います。妻に感謝です。
ー高野:おぉ!素敵です!2番目のお嬢さんは、自分の将来についてどんな風におっしゃっているのですか?
ー迫中:これが、ありがたいことに、今のところ「パパみたいな人と結婚したい。だから自分を磨く!」と言ってくれています(笑)
ー高野:素敵なご家族ですね。では今日はそんな迫中社長のお考えや事業の経緯について、たくさんお話をお聞きしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。迫中社長は32歳で起業されていますが、ご実家が商売をされていたのでしょうか?
ー迫中:いえ、父は、鹿児島出身で左官屋の職人でした。ただ父が体調を崩しがちになったことで、高校卒業後は僕も働きに出て、家計を支えるようになりました。当時は金融関係の会社に入りたいと思っていましたが、「学歴社会だから、出世ラインを持っていなければ上に上がることは難しい」と周囲から聞いて…。
「それは面白くない」と思っていた矢先、大阪の八尾市で不動産会社を経営していた幼なじみのお父さんが「うちにおいで」と誘って下さったので、そこで働くことになりました。
会社は当時、企業向けに工業用地を開発して売却するといった、企業不動産を扱う事業をしていました。ただ、僕が入社したのはちょうどバブル崩壊の頃。幸い会社は、地域密着で仕事をしていたので、そこまでの打撃はありませんでしたが、不況の波に飲み込まれる他社の状況を目の当たりにしているうちに、うちでも何か新たな収益事業の軸を作らねばと思うようになりました。
そして入社3〜4年目の頃、新しく住宅不動産の事業をしたいと会社に提案しました。住宅分譲で売れ残りになった物件の販売受託の事業でしたが、まだ20歳そこそこの若者の言うことですから、最初は社長に反対されました。
そこで「その分の給料も、休みも無しで働きますから!」と必死で社長を説得し、ようやく新規事業をスタートさせてもらうことができたので、それはもう無我夢中で取組みました。
当時の社長は、人柄が温かくとても良い方だったのですが、事業計画や戦略を練るような方ではありませんでした。ですから、資金調達のやり方については、周囲の皆さんにとにかく聞いて教えて頂いて…財務戦略や事業計画の作り方はその時に実地で学びました。この経験は本当に貴重でしたね。
ー高野:21歳の若さで、新規事業を立ち上げられ、資金調達まで…すごいです。私の21歳の頃と言えば「3年くらい働いたら結婚して会社をやめるのかな〜」とぼんやり考えていたような時期です。結局仕事の面白さに目覚めて結婚はだいぶ後になりましたが(笑)
ー迫中:仕事って本当に面白いですし、何でもやってやれないことはないですよね。
そして6年後、その事業がおかげ様で年間20億の売上になり、既存の事業規模を超えるまでに成長しました。そのことを評価して頂き、社内では統括部長として部下を持ち、その後も事業を伸ばしていきました。
ただ…会社の今後のことを考えると、「僕がこのまま会社に居るより、社長の息子が会社を継ぐ準備をしていくべきではないか」と思うようになったんです。
社長も年をとるので「タイミングは今しかない」と思い、当時他社で務めていた息子を呼び戻し、僕が3年でひくことを伝えた上で、彼が事業承継できるよう全て教えました。
そして全てを引き継ぎ、お客様も全て渡した状態で、32歳の時、身ひとつで会社を退職しました。
2.会社を設立したものの、そう甘くなかった…
(女性社員さんとちょっとした立ち話をされている様子)
ー高野:え…!ご自身が作られた新規事業で独立されたのではなく、またゼロからスタートされたのですか!?
ー迫中:はい、また「ゼロ」からです(笑)新規事業を僕が引き継いでしまうと、お世話になった前職の会社や地元の企業と客の取り合いになることは目に見えていました。だったら、大阪市内に出て「ゼロ」からやるほうがいいと考えました。とはいえ、ゼロから築き上げたものを捨てて、もう一度ゼロからを経験するのは、結構大変でしたね。
ー高野:そうだと思います。私は今34歳ですが、今までやってきたことを全部手放して、またゼロからやれと言われたら、とてもじゃないけど出来ないと思ってしまいます。
ー迫中:そうですよね(笑)実は以前に弁天町の日本料理屋を仲間10数人と買収していたのですが、そのお店の経営がうまくいっていませんでした。ただ、そんな中で僕が別事業で会社を興し、お店のことがなおざりになるのは良くないと思ったので、僕がお店の再生に乗り出すことにしました。ただ、お店は当時、毎月結構な額の赤字が出る状態だったので、すぐに再生できるほど甘いものではなかった。
夜は居酒屋の店員をやり、昼間は起業した不動産の仕事をする生活が1年ほど続き、結果的に半年でお店を再生することができました。当時はものすごく大変でしたが、飲食店の現場で実際に働くことで、お店がどのようなオペレーションでまわっているのか、またどうすれば飲食店を再生できるかがよくわかりました。
その経験が、現在の「商業施設活性化運営」に大いに役立っています。無駄な経験なんて何一つなく、全てのことにちゃんと意味があります。
ー高野:大変勉強になります。昼間の不動産事業では、どのようなお仕事をされていたのですか?
ー迫中:不動産の住宅の売買ですが、基本は「なんでもやります!」という形でスタートしました。そして半年ほど経った頃、前職で住宅の販売受託をしていた実績を知って頂いている方から「販売協力してもらえませんか?」とお願いされるようになりました。
ただ、それをするためには資金が必要です。当然、設立してすぐの会社が銀行から大きなお金を借りられるはずがありません。ところが、前職の私の働きを知って頂いていた信用金庫の常務理事の方が「君になら貸してあげるから頑張れ!」と言ってくださり、2期目としてはあり得ない額の借入をすることができました。
ー高野:将来を思い描くことはもちろん大切ですが、目の前の今を頑張ることが結果的に自分の未来を切り開いていくのですね。
ー迫中:そうですね。そこから3年事業を成長させてきましたが、2008年にリーマン・ショックが起こりました。今までにない不景気だったので、「この状況から日本が抜け出すには時間がかかる。そうなれば、多額の投資を必要とする不動産販売が苦戦を強いられるのは目に見えている」と思いました。そこで、当時自社が持っている分譲物件を、全て売却することに決めました。
ー高野:思い切った舵取りをされたのですね。
ー迫中:実はその前に知人から、「商業施設活性化運営」のきっかけとなる仕事の紹介を頂いていたので、これを機に事業をシフトしようと考えました。
「クライアントが商業施設のオーナーをしている。大手商社がその施設の管理を任されているが、年間で巨額の赤字が出ているので、きっと契約更新はしないだろう。何とかオーナーさんを助ける術はないものだろうか」と。
「その施設運営の仕事、僕たちがやりますよ!」と言ってみたものの、どこの馬の骨かも分からないものに、大きな施設の運営を任せてもらえるはずがありません。当時は施設運営の実績も無かったですから。そこから1年かけて、何度も先方とかけあいプレゼンをして、ようやく契約をさせて頂けることになりました。ただ施設運営には人出が要りますので、当社もその頃から採用に力をいれはじめました。
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3.「商業施設活性化運営」の醍醐味とは?
(「僕もやってみよう…」と友人経営者のFBプロフィール画像の面白いポーズを真似しておられる、お茶目な迫中社長)
ー迫中:商業施設に立て直しに入って1年で、ようやく再生の兆しが見え始めました。
ー高野:施設の再生は、そう簡単にできるものではありませんよね。今でも様々な商業施設の経営不振の話はよく聞きますし、とても大変なことだと思います。
ー迫中:はい。もちろん、簡単ではありませんが、僕は「再生できない施設なんてない」と思っています。すたれてしまった施設でも、見方や角度を変えれば絶対に強みはあります。
例えば大阪南港のATC。大阪の方でも、足を運ぶ人は少ないですよね。それが当社が運営に携わらせて頂くことで、外国からの観光客が増え、1日に1000人来店する店舗や、日本ナンバー1のお店を開発することができ、ATC全体の売上も徐々にあがってきています。
単に近くに住む人だけに来てもらうことを考えれば、足元商圏は3万人程しかありませんが、見方を変えれば違ったコンセプトが見えてきて、可能性がぐっと広がります。それが「商業施設活性化」の面白いところです。
ATCは、周囲を海に囲まれていて、USJや海遊館もあります。インバウンドの視点で考えれば、南港を1つのテーマパーク的要素として考えることができます。
ー高野:単に今流行りのお店を誘致するということではなく、その土地が持つものをうまく活かすという発想なのですね。
ー迫中:はい、その土地にあるものを活かし、光をあてることで、施設は息を吹き返します。当社の再生は、「地域密着のコミュニティセンター」というコンセプトなんです。最近は「超」をつけて「超コミュニティセンター」と呼んでいます。
ー高野:「地域密着」という言葉はよく聞きますが、サウンドプランさんの「地域密着」は他と何が違うのでしょうか?
ー迫中:その土地にあったコンセプト設計からイベント企画集客、広報までトータル的にプロデュースしながらオペレーションをするところですね。現在の日本には、売上管理はするけれど、イベント企画や店舗誘致は外部にアウトソースする管理会社が多いです。ただそうなるとコンセプトに沿った施設運営ができなくなり、売っているものがちぐはぐになり、客足が途絶え、すたれてしまいます。
本来その土地にあったコンセプトを決め、店舗誘致やイベント企画・集客は、全て一貫性を持たせてやるべきですし、そうすれば必ずうまくいきます。その分手間もかかりますし、責任も大きく大変ですが、当社はあえてそこまで踏み込んでいく。
だからこそ価値を提供できると思っています。
ー高野:なるほど…!他にも神戸の北野工房も見事に再生され、その中の店舗がメディアに多数とりあげられ、成功されているとお聞きしました。
ー迫中:北野工房の運営を当社が受託したところ、来客数は1年目95万人、2年目は103万人と増え続けています。高野さんがおっしゃるように、その中の「神戸北野旭屋精肉店」のコロッケは、テレビや新聞にも多数取り上げられる人気商品となりました。
とはいえ「神戸北野旭屋精肉店」を僕たちが育てたわけではなく、もとからお肉が美味しいと地元では評判のお店だったんです。ただ、地元以外の人には知られていないお店だったところを、発掘して広報したという形です。今ではここのコロッケはなんと、11年待ちなんです!
高野:じゅ、11年待ち…!今年生まれた子どもが小学校を卒業するときにしか食べられないんですか!?すごいことです…サウンドプランさんが全国から仕事のひきあいが増えておられるのも納得ですね。
ー迫中:はい、おかげ様で各方面からご紹介を頂き、今年は岡山や、宝塚、商業施設運営管理をスタートすることになりました。また、東京にも支店を立上げ、積極的に全国展開をはかっていきます。さらに今後は、中国向けの越境ECの仕組みを作り、地域が活性化する仕組みも作っていきます。
店舗に足を運ばれる方だけがお客様ではありません。店舗に来た後もネットで商品を購入したり、逆にネットで購入して興味を持ち、海外から実際にその店舗に来られる観光客の方もおられます。それらの一連の流れを作っていきたいと考えています。
4.カギは女性の活躍にある。
ー迫中:とはいえ、システムだけでは分からない部分があるのも事実です。単にデータを見て「売れ筋ではないからこの商品の取扱いをやめる」という風にしてしまうと、それを目当てに来られていたファンが離れ、来客数が大きく減ることもあります。
ですから当社は、実際にお客様やそこで働く方にヒアリングをして、生の声を聞くことをとても大切にしています。
そのカギを握るのが女性です。なぜなら、日々足を運んで下さる方や、実際そのお店で働いている方々の大半が、地元の主婦の方だから。
地域の主婦の方や女性の皆さんに愛されるお店になるためには、現場の女性社員の存在が必要不可欠になるので、今後は当社でも「女性の活躍」が大きなキーワードになっていきます。
ー高野:なるほど!女性に響くお店作りをするためにも、女性の視点や感性が必要になるのですね。
ー迫中:生鮮食品でもなんでも、主婦の眼力はすごいです。値付けや鮮度についても、若手の男性社員では絶対敵わない。逆に、厳しい視点を持った主婦の方のお眼鏡にかなう商品は必ず売れます。そんなことを考えて採用していると、自然と当社でもだんだん女性が増えてきて、今では女性社員比率は全体の3割を超えました。
当社では小売やアパレル業界で働いた経験をしている社員も多いですが、女性の場合はそういった経験がなくても、日々の生活の中で消費者目線や感性が培われているので強いですね。
また、子育てや家族連れの視点も現場では大切なので、女性社員さんにも長期的にキャリアを積んでいってもらえると嬉しいですね。
ー高野:サウンドプランさんの力で、全国の商業施設がどんどん再生されていくのが楽しみです!またそれ以外にも様々な展開を今後考えておられるのですね。
ー迫中:ありがとうございます!「商業施設活性化運営」の仕組みを持ち、全国展開している会社は日本中探してもありません。だからこそ僕らの使命は、この仕組みをシステム化し、全国で地域の活性化していくことだと考えています。その過程で、上場も視野にいれています。
また神戸の大学とコラボレーションし、留学生たちをインターン生として当社に受け入れ、生徒はそれにより単位を習得できるという取組みもスタートしました。
実は、海外からの留学生は、卒業後は日本で働きたいけれど就職先がなく、仕方なく母国に帰って仕事をするという方も多いんです。優秀でハングリー精神の高い彼らをそのまま母国に帰らせてしまうなんてもったいない。
今のところ大学からの受け入れはほぼ中国人留学生ですが、今後中国から日本への導線を作っていきたい当社ですので、インターン生の活躍の場面はたくさんあります。
当社で働く現場をリアルに経験したり、接客応対を学びスキルを高めて、卒業後の就職にも活かしてもらえたらいいなと考えています。また、僕の経営者仲間も「自社でもぜひインターンを受け入れたい!」と言ってくれているので、広がりを見せそうでワクワクしています。
ー高野:素晴らしいですね!迫中社長は、今目の前にある課題や問題に目をつけ、どんどん解決されていかれています。今後のサウンドプランさんのご発展がますます楽しみです!本日はありがとうございました!
はい、ありがとうございます!社員一同、しっかり頑張ってまいります!
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目の前の相手の声にしっかり耳を傾け、誠心誠意対応される迫中社長の誠実さあふれるインタビューでした。「僕たちがやらねば誰がやる!」という正義感と情熱、緻密な戦略、お客様目線での発想…迫中社長とお話していると、再生が難しいとされる商業施設をサウンドプランがなぜ次々に活性化できるのか、その理由がよくわかりました。今後の事業のカギを握るのが「女性の視点」ということで、今後のサウンドプランさんの活躍から目が離せません!
株式会社サウンドプランについて
設立:2005年8月
事業内容:不動産活性化事業 / 施設活性化事業
大阪本社:〒530-0003大阪市北区堂島1-5-17 堂島グランドビル6階
代表者:迫中智信
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