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パラレルキャリアなワーママに編集長が突撃取材!〜湯本理恵さん〜

働く女性の皆さんこんにちは。Woo!のネタリストとして、文房具ネタやワーママネタを発信されている湯本理絵さん。
大学職員として働いておられながら、プライベートではパワーママプロジェクト関西や、WLBC関西にて活動の幅を広げておられます。
今回は湯本さんに、「働く女性が自分らしく生きるための秘訣」について伺いました。

1.湯本理絵さんについてご紹介

湯本理絵さんのプロフィール

大学卒業後、一般事務職として就職。その後は、納得のできる働き方、仕事を見つけるべく、経理やマーケティングプランナーへと転職。結婚後、3度目の転職で大学職員にパートタイマーとして勤務。その後契約職員を経て正職員となり、現在に至る。プライベートでは、現在4歳になるお子さんのママとして、育児と仕事を両立している

2.大好きな音楽を続けられる会社で働きたい。

ー高野:湯本さんのご活躍は、いつもフェイスブックで拝見しております。本日はよろしくお願いいたします。湯本さんは、お子さんの頃から、将来働くことを考えておられたのですか

ー湯本:はい。両親が共働きだったので、自然と将来は自分も働くイメージを持つようになりました。父は電車の運転手、母は駅員さんでした。ですから「あ、今の電車の運転手お父さんだ」とか「あ、このアナウンスお母さんの声だ」といった感じで、両親が働くことを身近に感じられる環境ではありました。

ー高野:ご両親、かっこいいですね!

ー湯本:ありがとうございます(笑)両親が働いている環境が当たり前だったので、幼稚園に行ってはじめて、「世の中のお母さんは、家にいるらしい。そしてお母さんはおやつを作って子どもの帰りを待ってくれているらしい。」と知り、驚きました(笑)

ー高野:子どもながらにカルチャーショックですよね(笑)ご両親が共働きだった中で、保育園ではなく幼稚園に通っておられたのですね。

ー湯本:そうなんです。両親には「自分たちは共働きだから、私学にいれて躾をちゃんとしたい」という思いがあったようで、幼稚園から高校まで同じ私学の学校に通っていました。また、当時も待機児童問題で、なかなか保育園には入れなかったみたいですね。

有難いことに、近所に私たちの面倒を見て下さるおばさんがいたので、2ヶ月間の産休あけすぐに(当時は育休が無かったので)、幼稚園が終わるとそのおばさんの家で預かってもらっていました。

ー高野:地域の皆さんで子どもを育てる環境って素敵ですね!湯本さんの当時の将来の夢はどんなものだったのですか?

ー湯本:幼稚園の時は、「お母さんになりたい」と言っていました。お母さんになりたい次は、「幼稚園の先生になりたい!」、その後は「看護師さん」だったり「通訳」だったり…色々なりたいものがありましたね。

ー高野:子供の頃ってそうですよね。お花屋さんやケーキ屋さんは必須です(笑)では、実際に大学卒業後はどういった仕事につかれたのですか?

ー湯本:当時は就職氷河期で、大手企業でも内定枠が1人や2人という時代でした。私は新設大学の1期生だったのですが、面接で「どんな学部で何の勉強をしているの?」と聞かれても、思うように説明ができず苦労しました。当時は話すことが本当に苦手で…。今の学生さんは大学生の頃からしっかりと説明ができて本当にすごいですよね。

実は私は、子どもの頃から、エレクトーンやコーラスをやっていたので、将来はミュージシャンなりたいと思っていました。そこで「社会人になっても音楽を続けるために、9時〜17時で帰れる仕事」という軸で就活を進めました。

本当は企画系の仕事をやってみたいと思う気持ちもあったのですが、それよりも「定時に帰れて音楽が出来ること」の方が大事だったので、一般事務職で就職しました。

ー高野:当時の一般事務職というと、どのようなお仕事をされていたのですか?

ー湯本:私は大阪支社配属だったのですが、ザ・昭和な会社でして(笑)事務職の社員はみな制服を着ていて、朝出社したら、営業社員全員の分のコップにコーヒーやお茶をいれて配りました。「この人のコップは、この飲み物しかいれてはいけない」とか「この人は砂糖少なめミルク多め」といったことも全部覚えていました。

そしてその日の新聞を社員に配り、昼になれば、財布を持って近くにお弁当を買いに行って、17時半になったら、事務職全員で部長さんの前まで行って並んで、「お先に失礼します!」と挨拶して帰るという…。

ー高野:おぉ…本当に昭和ですね…!

ー湯本:でしょ!?(笑)仕事もそれなりに面白かったのですが、お客様からのクレームも結構多い会社で…。社内も退職者が多く殺伐としていました。そんな中「お客様からも喜ばれる仕事がしたい」と純粋に思うようになり、10ヶ月でその会社を退職しました。

次のページ>>> 転職や出産を通して、自分らしい働き方が見えてきた。その働き方とは…

3.転職の中で見えたこと。

ー湯本:その後、4ヶ月程転職活動をして、今度は中小企業の経理事務として働き始めました。またそこから、念願だったひとり暮らしも始めました。その会社の社長は、戦後すぐに会社を興して1代で会社を築き上げた創業社長で、2代目は息子さんだったのですが、ある日、社長と雑談していた時のことです。

「これからの時代は、女性でも社長になれる可能性ありますよね!」と何気なく発言したところ社長から「そんなこと軽々しく言うな!社長はそんな甘いもんじゃない!」と激怒されて…。ここでは自分のキャリアは築けないと思い、退職しました。

ー高野:戦後すぐに独立された年配の社長だと、未だにそういう考えをされる方も多いのかもしれませんね。その後は、どのような会社に転職されたのですか?

ー湯本:実はここでようやく、「仕事を一度一生懸命がんばってみたい」と思うようになりました。

以前から企画をやりたいと思っていたので、「未経験でもOK」の募集を探していたところ、「アカウンティングマネージャー候補」という仕事を見つけました。「企画営業かな?」なんて軽い気持ちで面接を受けに行ったところ、おかげ様で採用して頂くことができ、晴れてマーケティングプランナーになりました。

ただ、今までに「マーケティングのまの字」も勉強したことはなかったですし、「マーケティングって一体なんだろう?」くらいの知識しか私にはなかったんですよね。入社当初は、モニター対応やアンケート作成、集計レポート作成をしていました。

そのうちに企画営業を任せて頂けるようになったのですが、なにせ今までものを売る経験をしたことがなかったので「自分で売る」ことが全然できませんでした。

「売らないと!」と思えば思うほど、売れない。

そんな私を見かねて、社長が営業に同行して下さって、プレゼンをフォローしてくださったり、仕事への向き合い方からお客様に対する気遣いまで、仕事の基本をたくさん教えて頂きました。

ただ、思うように結果が出ず「毎日残業して、疲れたまま次の日を迎えて、余計にうまくいかない…自分でやっている感覚がない」という生活が続く中で、「プライベートを充実させれば何か変わるかもしれない!」と思い、フラメンコを始めたのですが、それでもなかなか状況は変えられず…。

ちょうどそのタイミングで結婚の話になったので、なんと結婚をして会社を辞めることにしました。

しばらくは専業主婦をしていたのですが、だんだん「やっぱり外で仕事したい!」という思いがふつふつと湧き上がってきて。

たまたま母校の大学の先生に「何か仕事ないですかね」と相談したところ、「うちの大学にこんな仕事だったらあるよ」と声をかけて頂きました。それが現職との出逢いです。

ー高野:そうなんですね!ご縁ですね。

ー湯本:大学が企業とコラボレーションして実施する企画で学生とプログラムデザインをしたりコーディネートしたりする仕事で最初はパートタイマーでした。その後、地域連携や、サテライトキャンパス運営にまで仕事の幅が広がっていきました。

4.結婚出産で、世界が広がった。

 

ただ、仕事が忙しく残業も多かったので、なかなか家のこともできない生活が続いていました。そこで、ワークライフバランスについて勉強したり、「何とかして仕事とプライベートをうまく成り立たせたい」と思ってもがいていたところ、妊娠が分かりました。

ただ当時は、過去に育休から復帰した人はいましたが、既に退職されていたので、周囲の方々も、「育休で休んでいいけれど、そもそもどうしてあげていいか分からない。」といった感じだったので、かなり気を遣って頂いてましたね。

そこで、これは自分から動かないといけないと思い、「現在〜産休育休〜復帰まで」のスケジュールカレンダーを作り、「ここで大きなイベントがあるからそれは避けて、ここから休んで、このタイミングで復帰するつもりです!」と、上司に相談し、自分の仕事の整理をして、皆さんに引き継いで頂き、産休に入りました。

ー高野:前例が無いから無理だと諦めるのではなく、自ら動かれたのですね!産休育休中は、どのように過ごしておられたのですか?

ー湯本:実は妊娠がわかる前に、キャリアカウンセラーの資格を取ろうと思い、講座に通っていました。その一次試験が、なんと出産1ヶ月後で。「絶対に受かりたい!」と思った私は、産婦人科にまでテキストを持ち込んで勉強し、夫にも「試験の日は4時間だけ家をあけさせてね」と頼んで受験しました。そして無事、筆記試験にも合格し、2次試験のロールプレイングも合格することができ、はれて資格を取ることができました。

その後は、平日の昼間開催のイベントに子連れで参加したりしました。

するとだんだんと「まだ今の組織でやれることってたくさんある」と思うようになってきたんです。

キャリアカウンセラーの資格や、今までプライベートの時間を使って自分がやってきたことを、復帰した部署でもっと活かせるんじゃないかと。

そこで上司に話をし、その方向性で話が進んでいたところ、なんと年度末の時に「4月復帰のタイミングから部署異動です」と言われて。

青天の霹靂でした。

ー高野:おぉ…そのつもりで心づもりしていたのに…本当に何があるかわからないものですよね。

ー湯本:そうですよね。その部署は、学生の就活のSPI対策、公務員試験対策といった課外講座をする部署だったのですが、周囲の皆さんも復帰後は気を遣って下さって「出張?いやいや、そんな無理しなくていいよ!大変やろ?」という感じで、少し物足りないなーという気持ちもあったんですよね。

でもその時にこう思いました。

「今はこういう状況なのであれば、今できるキャリア関連や、ワークライフバランス、プライベートでの勉強を頑張っておいて、いつか本業に還元できるようにしておけばいい」と。そこで今までより更に、勉強やプライベートでの活動に力をいれるようになりました。

これは出産してから自分の中で変化したことですが、生きていると、自分の力ではどうしようもないことも出てきます。育児はその典型。それを、無理に自分の思い通りに持って行こうとするのではなくて、その時はその状況を受け入れて、ある意味流れに身を任せながら進んでいくことも大事だと思いますね。

ー高野:よく分かります…!自分の努力だけではどうしようもないことって、人生で結構多いですよね。その状況を受け入れて、柔軟に進む勇気も必要だと思います。湯本さんが、お仕事をされる上で大切にされていることは何でしょうか?

ー湯本:仕事もプライベートも、どちらも全力でやるということです。大学を卒業した頃は、仕事は待遇ありきで選んでいました。一方で転職して、終電で帰って残業をする日々も経験しました。

その中で気づいたのは、「結局片方を追いかけるだけでは、どちらも充実しない」ということでした。

今、私が関わっている、パワーママプロジェクト関西の取組みに共感するのもそこなんですよね。「何かを諦めるのではなく、全部やろうよ!」というママたちの集まりなので、仲間や出逢う方からたくさん刺激を頂いています。

決して、完璧に全てをやらなければならないということではなく、できていない部分があってもいいと思います。私も全然完璧な人間ではないですし、周りの人達に完璧を求めることもしなくなりました。出産や育児をする中で、少しずつ受け入れる度量ができてきたんですかね(笑)

ただ、自分の気持ちとして後から「あの時やっときゃよかったー!」と後悔することだけはしたくない。だから、全力で頑張ります。

ー高野:私も、できない理由を育児のせいにしたくないという気持ちがあります。決して家庭を疎かにするということではなく、どちらもうまくやるために、あらゆる手段を考え尽くしてチャレンジしてみることで、自分も成長していくと。それでは最後に、湯本さんの今後の展望を教えて頂けますか?

ー湯本:以前は、3年後にこうしよう!5年後にこうしよう!と目標ありきで進んでいた時期もありましたが、今は、その時々で目の前のことを1つ1つ頑張っていきたいと思っています。「こうなっていたらいいな〜」という大きなイメージは持ちつつも、無理に目標を作ってしばられることなく、流れの中で自分が成長していって、気づけば道ができていたという感じが今は素敵だなと思っています。新しい取組みもスタートしているので、まだまだ頑張りますよ!

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人のキャリアというのは、一朝一夕で作れるものではないと思います。色々な仕事を経験して、やってみて肌で感じて、迷っても悩んでも一歩ずつ歩いていくからこそ、そこにはちゃんと自分だけの道ができている。湯本さんの行動力や、今ある環境でいかに楽しく人生を充実させるかという発想の転換術は、私たち働く女性も見習うべきポイントがたくさんありました。湯本さん、本当にありがとうございました!