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満足度98%の女性講師に編集長が突撃取材!〜インターマナー 渡邊優子さん〜

働く女性の皆さん、女子大生の皆さんこんにちは。本日ご紹介する素敵な働く女性は、渡邊 優子さん。インターマナー代表であり、ワークスタイル・アドバイザーとして、全国でご活躍中の研修講師です。ハツラツとされていて、人混みでもパッと目をひく美しさと気品を兼ね備えた素敵な渡邊さんに、お話を伺いました。

1.渡邊 優子さんってどんな方?

短大卒業後、1990年に電力系サービス会社に入社。入社して2日目に新入社員研修の社外講師と出会い、「いつかあの仕事をしよう!」と心に決める。発電所で接客スタッフのリーダーを務め、後輩を育てる中で教育(共育)の楽しさを知る。その後オール電化、地域共生、広報など各分野のイベント企画・ディレクターを経験。

2005年に転職し、新規開拓飛び込み営業を経験。営業スキルを持たなかったためひたすら行動量を上げ続ける。重いかばんを持つ手は豆だらけ、汗まみれで走り回り、笑顔と熱意だけで毎月目標をクリア。

6ヶ月後に新規サイトの関西エリアマネージャーに抜擢される。自身が試行錯誤を繰り返す中で、知らず知らずのうちに身についた営業スキルを部下に伝えようとするが失敗の連続。チームをマネジメントする難しさを知り、営業スキルを体系的に整理する必要性を感じる。

2007年独立起業し、ワークスタイル・アドバイザーとして日々奮闘中!70歳になったら「講演会で全国を駆け回る元気な女性」になることが目標。

2.入社2日目にして、将来を決定づける出来事が起こった。

ー高野:渡邊さんは、もとから「将来は独立しよう!バリバリ働こう!」と思っておられたのですか?

ー渡邊:いえ、その逆です。バリバリ働こうなんて、全く思っていませんでした。母からは、「婚期が遅れるから4年生大学ではなく短大に行きなさい。手に職はつけずに、お金持ちの人と結婚しなさい。」と言われていたくらいです(笑)母の時代は、それが女性の幸せだったんですよね。
短大時代に、イベントコンパニオンのアルバイトやキャンペーンのお手伝いしていたので、「卒業後は、派遣でそういった仕事をする感じかな」と漠然と思っていました。ところが短大2回生の夏休みに、当時お世話になっていた10歳上の方から、

「一度で良いから、3か月で辞めてしまってもいいから、企業に勤める経験をした方がいいよ」とアドバイスを受けたんです。

そこで早速、大学の求人情報欄から「接客、正社員」の募集を探したところ、電力系サービス会社の求人があったので、その会社に応募して、卒業後正社員で働くことになりました。

もともと軽い気持ちで入社したのに、結果的に15年も働いたんですよ(笑)人生は不思議、でもこれも全て必然だと思っています。

ー高野:ご縁は本当に不思議ですね。その会社の新入社員研修で、現在講師をされるに至るきっかけがあったとお聞きしましたが…。

ー渡邊:はい。入社して2日目の新入社員研修の講師が、まるで、トレンディドラマの中から出てきたようなとてもかっこいい女性でした。学生時代には出逢ったことが無い洗練された大人の女性で、ショートボブでハイヒールをはいた「ザ・キャリアウーマン!」。

その講師の女性を見て「私もいつかあんな風になりたい!」と思いました。

それまでは漠然と、20代前半で結婚して、お嫁さんになって…と考えていたのに、一瞬にして将来の自分像が書き換えられたんですよね。今まで描きもしていなかった、キャリアウーマンというものに。

それ以来、「講師なりたい!」と強烈に思っていた時期ばかりではありませんが、漠然と「講師になる」イメージを持ちながら働くようになりました。

ー高野:すごいですね。将来の自分像が一瞬にして書き換えられるほど、衝撃的な出逢いだったのですね。では、実際に会社では当時どのようなお仕事をされていたのですか?

ー渡邊:最初の7年は、ショウルームやパビリオンのコンパニオンをしていました。「綺麗な制服を着て、ニコニコ楽しくやっていればOK!」という感じで(笑)

入社1ヶ月間は研修で、その後すぐに現場配属になり、先輩に教わりながら仕事を覚えていきました。ただ私、そこで周りの同期と違う自分に気づいたんです。

それは、同期は「お客様の前で話すなんて、緊張する…苦手…」と言っていたのに、私は一方で「お客様の前で話すってめちゃ気持ち良い〜!」と感じていたことでした。

私にとっては、人前で話すことは気持ちよくとても楽しかったので、これは天職なんだと思いました。もともと接客も大好きでしたから、当時の仕事自体はとても楽しかったですね。

高野:すごいですね…「人前で話すことが気持ちいい!」という人なんて、なかなかおられないと思います。当時コンパニオンをされていたとなると、きっと色々なお客様がおられたと思いますが、いかがでしたか?

渡邊:さり気なく腰にタッチしてくるおじさまや、案内中に至近距離でカシャカシャ写真を撮ってくるお兄さん等…それはもう色々な方がおられました。印象に残っているのは、阪神大震災の日のお客様です。

その日は交通機関も全て止まり、職場のパビリオンも休館になったのですが、私は徒歩と会社のピストンバスで通勤出来る距離に住んでいたので、出社しました。きっと電話対応や連絡係が必要だろうと思ったので。

私以外に警備員の方と上司も出勤していて、みなでテレビを見ながら状況を把握していたところ、昼過ぎに電話がなりました。

奈良県の小学校の先生からだったのですが、「今から行ってもいいですか?」とおっしゃったんです。

私は驚いて「今日ですか?」と聞き返したのですが「近々、小学生の社会見学でパビリオンの予約を入れている。今日は学校も休校だから今日見学がしたい」とおっしゃる。「本日は震災の影響で休館しているので、十分な対応できないかもしれませんがよろしいですか?」と聞くとそれでも良いということで、実際に案内しました。

本当に色々な方がおられたので、鍛えられましたね。また、障害を持った方と関わったりご案内することも多かったので、それはものすごく勉強になりました。

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3.コンパニオンから、会社初の女性総合職へ。

高野:すごいですね…渡邊さんって、何でもうまくこなしていかれるイメージがあるのですが、失敗等されるんでしょうか?

渡邊:当然ですよ!失敗、たくさんありますよ!新人の頃は世間知らずだったこともあり、2日酔いで朝からソルマックとブレスケアを飲んで、お酒のにおいをぷんぷんさせながら出社したこともありました(笑)今思えば本当にお恥ずかしいことです…。
また、本社にイベントで配るチラシ5000枚を忘れて和歌山の現場に行ってしまって、先方のオフィスのコピー機フル稼働で印刷して頂いて何とか切り抜けたり…たくさん人に迷惑かけて、お世話になって、育てて頂いたなと思っています。

高野:何だかちょっと安心しました(笑)ありがとうございます。では、7年間パビリオンで勤務されて、その後はどのようなキャリアを積んでいかれたのですか?

渡邊:実は、7年経った頃、もう会社を辞めようと思うようになりました。

「このままずっとここにいても、学べることは無いかもしれない」と感じていたからです。それを上司に伝えたところ、本社に異動していた私のもと上司からすぐに電話がかかってきて「ちょっと待ってくれ!」と言われました。

「実は、本社勤務で、総合職として仕事してもらう話が出ているんだ。今調整していから、もう少しだけ待ってくれないか。」と。

私服で勤務する総合職女性第一号ということだったのですが、その後おかげ様で、総合職として本社勤務になり、更に8年間勤務しました。

「何で私だったのですか?」と後で上司に聞いたところ「渡邊さんは勉強熱心で、色々創意工夫ができる人だから」と言って頂いて、嬉しかったですね。

高野:上司の方は当時からちゃんと見ておられたのですね。本社ではどのようなお仕事をされていたのですか?

渡邊:イベントのディレクター兼営業という感じですね。ほぼ外回りでした。ただ、当時はイベント運営に関しては素人だったので、社外の下請けの方にいちから育てて頂きました。

運営や設営に関しては下請けの皆さんに頼るしかないですから、いかに機嫌よく動いて頂けるかが成功の秘訣だ!と27歳にして悟ったんです(笑)仕事を頼んでいるのはこちら側ですが、そんなことは関係なく、私が一番下っ端だという気持ちで働いていました。

高野:すごいです!その成功の秘訣にいちはやく気づかれるなんて…!ただ、当時は総合職女性第一号ということで、気負ってしまったり、ロールモデルがいないことによる不安等はなかったのですか?

渡邊:そうですね。確かにロールモデルはいませんでしたが、「私に、第一号で切り開くという役を与えて下さって嬉しいな」という気持ちの方が大きかったです。もともと新しいことは好きなので、どんどん学べる環境も楽しかったです。また、本社勤務の年上の一般職の女性の皆さんがとても優しくて良い方々で「私たちは事務だけど、渡邉さんは総合職としてがんばってね!」と接してくださったのもありがたかったです。

ただ、当時は「女性には役職を与えない。もともと総合職入社ではない人にこれ以上の昇進や昇格は無い。」という会社の方針があったので、いつまでもここにいることは出来ないと思い、転職を決意しました。

4.ベンチャー企業への転職、そこからの独立。

高野:なるほど…そして全く違う業界に、しかも営業職で転職されたのですね。

渡邊:はい、35歳の時でした。飲食店向けの販促サイトを運営するベンチャー企業に営業職として入社しました。転職活動をした際、短大卒だとあまり求人枠がありませんでした。その時は既に講師になろうと考えていたので、研修会社や講師派遣会社の面接も受けたのですがピンとくるものがなく…。

ただ、講師として独立する前に営業は絶対に経験しておいたほうがいいと思っていたことと、
やったらやった分認められる実力主義の会社にいきたいと思っていたので、最終的にはその会社に決めました。

おかげ様で同期の中で営業成績が一番になり、半年で役職を与えて頂きました。やればやるだけ半年ごとの査定で給料が上がるのも、嬉しかったですね。
逆に、24歳の女の子のチームに、50歳のおじさん部下がいるという…シビアな世界でもありました。

高野:営業経験ゼロから1位…すごいです!コンパニオン時代にも100人中1位になられたと以前お聞きしましたが、渡邉さんの「一位志向」はもとからなのですか?

渡邊:目覚めたのは、幼稚園の年少さんのときです。祖父は会社経営をしていたのですが、その祖父が運動会に来てこう言ったんです。

「ゆうこ、かけっこ、一番になり!」と。

今まで幼稚園のかけっこをそこまで本気で走ったことはありませんでしたが、その時ばかりは本気で走りました。すると1番になることができ、祖父がとても褒めてくれたことが嬉しくて、そこで目覚めたんですね。

高野:なるほど…おじいさまの言葉と、そしてきっとDNAなのですね。営業をする上で心がけておられたことはありますか?

渡邊:そうですね…営業をする中で心がけていたことは「笑顔」と「元気」です。私には当時営業スキルがなかったので、それしかないと思いました。あとは、動く、とにかく行動量をあげることですね。

そこで2年働きましたが、あまりにも急激に出世しすぎて、体調を崩し、退職しました。当時は甘えるのが苦手で、何でも自分で抱え込んでしまう性格でしたし、頑張りすぎたんでしょうね。早歩きで歩きつづけることができればよかったんですが、猛ダッシュしてしまって…。

ある朝起きたら、部屋から出られなくなっていて、部屋を出たら涙が溢れてきて、これはおかしいと思いました。予兆はありましたが、それでも何とか奮い立たせて仕事をしていたら、ある日、糸がきれてしまったんですね。毎日死にたいと思っていました。

高野:そこまで追い詰められて…そこから現在のように活躍されるまでは、並大抵な道のりではなかったと思いますが、どのようにして少しずつお仕事に復帰されていったのですか?

渡邊:ちょうど、友人が関電の下請け会社を立ち上げて人出が足りないということだったので、オール電化の販売のアルバイトを少しずつするようになりました。自分の経験を活かせるし、アルバイトだとそこまで大きな責任は無いので、負担なくできるかなと思ったからです。

そんな感じでくすぶっていた35歳のある日。社外の先生から、「講師養成講座があるから来ませんか?」と言って頂いて参加し、ぼんやりと講師業について掴むことができました。

するとその後、イベント兼人材派遣をしている会社の社長が「一回講師をやってみない?」と声をかけてくださったんです。それが講師業のスタートでした。

そこからは、講師業や司会業といった様々な経験の中で、お客様に育てて頂きましたね。本当にありがたいことです。

高野:講師のお声がかかるなんて、きっと渡邊さんが日頃から意識されていた結果なのでしょうね。

渡邊:私は恐らく普段から「将来こんなことやりたいんです!」と、周りの人達に話していたんだと思います。やはり言わないと伝わらないですよね。それ以来、関電係のアルバイトと講師業の両方をするようになりましたが、まだまだ収入の9割は、関電係のアルバイトでした。

高野:そこから、本格的に講師一本でいこうと思われたきっかけは何だったのですか?

渡邊:2011年3月11日の東日本大震災によって、12日に起こった原子力発電所のメルトダウンです。私はもともと電力系の会社でずっと働いていたので、これで関電系のアルバイトの仕事は全部無くなると思いました。全国の原発がとまる→節電要請が出る→オール電化の営業できなくなる→仕事がなくなる。

そこで初めて、自分の動き方を変える覚悟が出来ました。収入の9割がゼロになるなら「これはもう、講師の道で行け」ということだと感じました。

その後初めて、異業種交流会に行き始めましたが、紹介で繋がり、様々なご縁をいただき、有難いことに、現在は講師業一本で仕事をさせて頂いています。

高野:facebookを拝見すると、10月末まで仕事の予定でいっぱいということですが、すごいご活躍ですね!

渡邊:あ、遊びの予定も入ってますよ(笑)

高野:(笑)講師業の醍醐味、面白さについて教えて頂けますか?

渡邊:参加者が実際に変わっていって、「先生ありがとう!」と言って頂けることですね。人に感謝されることが、生きていく一番のエネルギーになります。商売は、お金のためであってはならないと常々思っています。誰かが喜んで下さって、後からお金がついてくるものですよね。

今思えば、接客業、営業、マネジメント経験、司会業、これまにでやってきたことは、全部今の講師業につながるように出来ていました。まさに必然ですね。

高野:やりたいことが見つからないと焦っている働く女性も多いですが、渡邊さんならどんなアドバイスをされますか?

渡邊:やりたいことは、絶対に見つかります。それは、仕事ではなく、ボランティアかもしれないし、趣味かもしれませんが、絶対見つかるので大丈夫です。
私も20歳の時は何も知らない世間知らずなOLでしたが、今ちゃんと天職に出逢えています。

それには、今目の前にある仕事を一生懸命やること。

自分のことを見てくれている人は必ずいますし、その姿を見て誰かが必ず引っ張ってくれます。焦って、「あれも、これも…もしかして、こっちかな?」とウロウロするのではなく、まずは今目の前のことに全力投球することですね。

あとは将来なりたい姿を、ぼんやりとでもいいからイメージするだけで大丈夫だと思います。

高野:おぉ!なるほど!ありがとうございます!では最後に、働く女性にメッセージをお願いします。

渡邊:考えて動ける人になってください。言われたことをきちんとこなすだけなら、あと5年10年のうちに、ロボットにとってかわられてしまいます。いつの時代も必要とされる人であるためには、問題点に気づく観察力と、問題点を改善していく行動力が必要。

それには、目の前のことに一生懸命になっていないと気づけないですからね。焦らずに、今を着実に積み重ねて、自分なりの人生を作っていっていただければと思います。

高野:ありがとうございました!

渡邊さんの強さ、温かさのわけは、これらの壮絶な経験の中にあったのだと感じました。やりたいことが見つからないと焦るのではなく「今目の前のことを一生懸命頑張ること」こそが、天職に出逢うための近道。忙しく仕事をしている私たち働く女性が、ふと忘れてしまいがちな大切なことを、改めて思い返すことができたインタビューでした。渡邊さん、本当にありがとうございました!