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20年後の社会と働き方改革~vol.5 惑う40代と『LIFE SHIFT』の警告

働く女性の皆さんこんにちは。「転石 ビジネスサークル」代表の小野 曜(よう)です。
2016年10月に日本語版が発売されて以降、話題の『LIFE SHIFT』(リンダ・グラットン他著、東洋経済社)。この本には、長寿化によって働き方、生き方が変化することが書かれています。
「20年後の社会と働き方改革~vol.1 「働き方の未来2035」って何?で始まった「20年後の社会と働き方改革」シリーズの久々の第5弾は、40代に照準を当て、『LIFE SHIFT』は何を説き、私たちは『LIFE SHIFT』をどう受け止めればいいのか、考えたいと思います。

1『LIFE SHIFT』が説いていること

『LIFE SHIFT』には、これまで普通だった「3ステージモデル(教育→仕事→引退というステージが直線的に進行する人生モデル)」に代わって人生はマルチステージ化すると書かれています。マルチステージの人生とは、3ステージモデルの「教育を受けるステージ」「仕事をするステージ」「余暇(人生)を楽しむステージ」より多くの種類のステージ~例えば「家庭内労働に従事する」「社会貢献する」~をさまざまな順序で、時に2以上のステージ組み合わせて生きる人生です。

『LIFE SHIFT』では、長寿化により3ステージモデルに代わってマルチステージの人生が普通になると予想されています。『LIFE SHIFT』では、1971年生まれの人の平均寿命を85歳とした場合、老後資金を確保するためには70代前半まで働く必要があると試算しています。平均寿命は今後、さらに伸びると予想されており、いまの50歳前後以下の人は、20代前半から70~80歳まで働いて収入を得なければならないという予想は否定しがたいでしょう。

私たちは90年近く生きることになり、そのために70代前半~後半まで働けなければならない。となると、20代前半までに受けた教育を原資に40代前後までに得たスキルや知識、キャリア、地位に依存、安住して働き続けることは難しくなるでしょう。過去20年の情報処理技術の革新を例に出すまでもなく、世の中は2,30年で大きく変化し、20代前半から50年以上にもわたる長い就労期間の間に、働くために必要な知識やスキルが激変してしまうことは避けることができません。

『LIFE SHIFT』が主張していることはまさにこのことで、50年以上にも及ぶ長期就労期間を働き続けていくためには、これまでのように20歳前後で教育を終えて一つのキャリアで生きていくのではなく、何度も知識やスキル、キャリアを入れ替える必要があるといっているのです。同旨の主張として、東大教授の柳川範之氏もスキルの陳腐化を防止する必要があるとして「40歳定年制」を主張しておられます。

2 惑う40代

ところで私自身、40代で得た地位に安住すれば今後の人生のリスクが大きくなると判断したのですが(https://woo-site.com/article596/)、20年近く“棲み慣れた”業界、築いてきたキャリアをリセットするのは容易な決断ではありませんでした。私はこの2年間、20年近く築いてきたキャリアとは別のキャリアを構築する渦中にいますが、キャリアをリセットしようと考え始めた時からいままで、何度も読み返しているのが糸井重里氏の「40歳は惑う」というコラムです。

糸井氏いわく、「40歳を迎えるとき、多くの人は仕事でも自分の力量を発揮できて・・・万能感にあふれている」「でも、40歳を超えた途端、「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。・・・自分でもうすうす、いままでのままじゃ通用しないと感づいている」。糸井氏は、「夫婦関係や子育て、親の介護や自分の病気など・・・今までどおりにはいかない・・・その時、いままでは通用したのに、と過去の延長線上でもがくことが多い。でも、それではなかなかブレークスルーはない」と書き、ゼロになってもがくべきと説いています。

40歳といえば「不惑」、迷いがなくなる年齢と言われますが、「40にして惑わず」と言った孔子は紀元前5世紀ごろの中国を生きた方。現代の40代というのは世の中というものが、その理不尽さも含めてわかるようになり、20~30代の頃から走り続けてきた「道」の先も見えてしまう年代です。

大方のサラリーマンは40代のどこかで自分が出世する上限に気が付かざるを得ず、会社に感じる魅力が薄れる中で家庭を顧みたところで仕事より家庭を優先してきた人でなければ時すでに遅し。仕事にかまけて家庭を顧みなかった方(たいていは男性)は、その方が家庭を不在にした間に培われた「配偶者(たいていは妻)&子ワールド」に居場所はなく、「三界に家なし」状態にも気が付かざるを得なくなります。

こうして自分の居場所、行先がないことに気が付いた40代は「自分は何のために働き、生きるのか」という、20代が抱えるのと同じ悩みを抱えます。ただし20代の悩みは可能性があるがゆえに何をすればよいのかわからない悩みであり、40代の悩みは可能性がなくなっていく中で現状に危機感を覚えてもその現状を容易には変えられないと思うがゆえのジレンマです。

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3 惑いとリスクを直視できますか?~惑いを払えるのは自分だけ

40代が惑うのは何も最近見られるようになった現象ではありません。実際、私が10代だった30年前、当時40代だった父の頭髪は悩みからあっという間に薄くなり(会社を辞めたら増えたのがまた笑えるのですが)、20代だった20年前、勤務先で出会った40代はどこか悲哀を帯びていました。

2013年、英国の経済誌「The Economist」が幸福度を自己評価してもらう米国の調査で46歳が最も不幸を感じるという結果が出たことを紹介したことが話題になりましたが、日本以外の40代も以前から惑う年代であったのです。それでも平均寿命が70歳前後で60歳までの雇用が保証されていれば、40歳で「先」が見えた道であっても惑いに蓋をしてその道をそのまま進むこともできました。

けれどもこれからは寿命が延びて人生80年、さらに90年、100年となる一方、今後20年は労働市場に参入する若者は減り続けます。そうなると、年金は減ることはあっても増えることはなく、多くの人が70歳、75歳まで働かざるを得なくなるでしょう。

『LIFE SHIFT』も「40歳定年制」を主張した柳川氏もまさにこの長寿化による就労期間の長期化の中で陳腐化する知識やスキル、キャリアの刷新の必要性を指摘しています。こうした主張が昨今、注目を集めたのは、これまでも40歳前後で多くの人が「うすうす、感づいて」いた、「いままでのままじゃ通用しない」という不安が、もはや「逃げ切り」を決め込むことで解消することができなくなったことを突きつけているためではないでしょうか。

4 与えられた仕事を覚える若き日々、やりたいことにチャレンジするmiddle age、その先の人生

私が会社を辞めるまでに築いてきた弁理士というキャリアは、実は私自身が望み、希望したキャリアではありませんでした。新卒で入社した会社で特許課配属が決まったとき、私は「嫌だ」と電話で泣いたと主人はいまでも笑います。そんな「自分で望んだのではない、他人から決められた仕事」でもやってみると面白く、また私にとっては「比較優位」、そこそこの努力で「プロ」として働ける、そんな打算から続けたキャリアです。

私はいま、そのキャリアを維持しながら、30年来の宿願であった里山再生に携わりたいがために、「里山再生」は一人でなしえず仲間が必要との認識の下、「志や目的を共有する異能の仲間」と、プロジェクト単位で協働できる仕組みを創ろうと四苦八苦しています。その四苦八苦は、まさに自分が「役に立たない存在」であることを突きつけられてもがく経験に他なりません。ですが、同時にそれは長年の宿願をかなえるためのものであるというワクワクがあり、自ら望んで選んだ道であり苦しくとも気付き、学びを求めるがゆえに自らの成長を実感できるものでもあります。

40代というのはこのように、苦しみの中に悦びを見出すこと、若さと老いの両方が理解できる、闇の中の光も光の中の闇も知っている年齢ではないかと思います。

であればこそ、まだ気力、体力が残っている40代のうちに副業やプロフェッショナルボランティアなどで「やりたいこと」「何か別のこと」をやってみること、そうして「やりたいこと」「別のこと」を追いかければよいのではないかと思います。40代で「やりたい」「やってみたい」を素直に追いかけて人生を楽しめれば、気力、体力がいよいよ衰える70歳前後から、再び、自分が望むわけではないけれど他人から必要とされる役割を果たすため、自分が持てる時間を喜んで差し出せるようになるかもしれません。

極度のせっかちで、時間をかけて向き合うことが求められる子育てや介護には到底、向いてない今の私でも、やりたいことを追いかけた後の人生なら、自分の時間を自分のやりたいことに費やすのではなく、他人のために喜んで差し出して、子育てや介護を心の底から楽しめるようになるかも。そんなことを夢想しながら、40代、50代でLIFE SHIFTを試みる仲間との出会いが増えるといいな、と思っています。