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まともな年の重ね方~変化し、違いを受け入れる~

皆さんこんにちは。Woo!編集長の高野(こうの)です。先日、Woo!のシェアリストで、知的資産経営/差別化戦略コンサルタントで、プロフェッショナル&パラレルキャリア・ フリーランス協会 関西HUBのまとめ役としてご活躍の小野曜さんと対談させて頂きました。今回は、その内容をご紹介したいと思います。

小野 曜(おの よう)さん
転石 知財事務所 / 弁理士 、一般社団法人 プロフェッショナル&パラレルキャリア・ フリーランス協会 関西HUB/代表
【プロフィール】
大阪生まれ大阪育ち。1998年 京都大学大学院農学研究科 修士課程修了、同年、栗田工業株式会社入社。2002年弁理士資格取得、2003年~2008年まで国内特許・法律事務所勤務。2008年~2015年 株式会社野村総合研究所勤務。途中、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、日本弁理士会「知財コンサルティング検討委員会」「研修所運営委員会」などを歴任。
2015年 野村総合研究所退職、転石 知財事務所設立。

髙野 美菜子(こうの みなこ)
株式会社ナチュラルリンク 代表取締役 / Woo!編集長
【プロフィール】
京都生まれ京都育ち。2004年。新卒で人材育成研修・コンサルティング会社に入社。営業に配属され3年連続トップセールス賞を受賞する。2009年株式会社ナチュラルリンクのを設立。仕事に育児に日々奮闘しながら、いつでもどこでも、時間と場所の制約なく働ける働き方を自らの会社や人生を通して実験中である。

東京と大阪の文化の違い

高野:本日はよろしくお願いいたします。まず最初に、現在の小野さんのお仕事やご活動内容を、簡単に教えて頂いてもよろしいですか?

小野:はい。本業としては、知的資産に関する仕事をしており、技術動向調査や知的資産経営支援、差別化戦略や模倣防止策の立案・実行を請け負っています。また、一般社団法人 プロフェッショナル&パラレルキャリア・ フリーランス協会 関西HUB代表として、多様な働き方を選択しやすくするための各種活動に取り組んでいます。それから、本業で調査や経営支援業務を行う際、異分野のプロフェッショナル人材との協働の必要があるため、協会活動とは別に個人でも、プロフェッショナル人材が所属を超えて集まり課題解決を図るタスクフォースの編成&活動を支援しています。
(https://yowono.wixsite.com/thinkdo)

高野:なるほど!小野さんは、京都大学大学院を卒業された後東京で働かれ、約3年前に大阪に戻ってこられたんですよね。仕事を進める上で、東京・大阪、双方の強みや弱みをよくご存知だと思うのですが、いかがでしょうか?

小野:そうですねぇ…東京と大阪は同じ日本なのに全く文化や風土が違います。まず東京は「企画・アイデア・ビジネスモデルで勝負する土地柄」だと思いますね。ある意味、知性・知識・理性に勝ちを置く土地。そのため、ネット上でやり取りが完結することも多く、ビジネスのスピードも速い。
一方大阪は知性や理性より感性、感情。「まずはお互いに信頼関係がなければ、ビジネスも何も始まらない」ように感じます。お互いのことを深く知った上で話が進むので、そういった意味でスピードは遅いですね。

高野:なんとなくそんなイメージがあります。私も「ビジネスをやるなら、大阪よりも東京の方がやりやすい」という話はよく聞きます。大阪は「まずは飲みに行こうやー」から全てが始まる感じで(笑)

小野:わかる(笑)でも東京でベンチャー企業を立ち上げたり新しくビジネスをやっている人の中には「知識はたくさんあるけれど、それが自分の体験に基づいた血肉になっていない」と感じる人もいました。話はうまいんだけど、なんか心に響かないというか、本当に好きってわけじゃないけど流行だからやってるって感じがするというか…。

私も長く東京で仕事をしていたので「言葉で完結させる」ことには慣れていましたが、大阪に来て「それだけではいけない。自分の実体験をもとに、自分の言葉で発信しないと相手には伝わらない」と痛感しました。こういった部分は大阪の方がシビアに見られているように思います。大阪では、流行ってるかどうかより、自分の感情、自分が面白いと思うか、必要と思かどうかで判断される感じがします。

高野:基本的に物事は「何を言うか」より「誰が言うか」ですよね。その人のバックグラウンド、人格、思想、経験、そういったものによって、同じことを言っても全く重みが変わってくると思います。

小野:そうですね。私は新卒でメーカーに就職しましたが「根っこがなければ意味がない」という現場主義を叩き込まれました。メーカーには、製造現場や営業部署とは別に開発という部署があるのが一般的。将来の価値を作り出す、つまりは新規事業開発、企画のような部署ですね。
私は大学院卒業後、開発部の中の「開発成果の特許をとる知財チーム」に配属になりましたが、現場を自分の足で歩き、目で見て、耳で(話を)聞いて、「現実」を理解していないとダメ、絵空事、絵に描いた餅を描くだけではダメということをしっかりと教えてもらったと感じています。

高野:なるほど。会社も個人も、土台が大切ですよね。20代の頃、本で読んで頭では理解していたつもりだったけれど、30代になりようやく「あの時言ってたのはこのことか!」と腹落ちしたことがたくさんありました。体力の衰えを感じたり、子どもが出来て思い通りにいかない等…実際に経験してみないと分からないですね。

小野:そうですね。私は今40代ですが、また30代の時とは全く感覚が違います。年齢を重ね、子どもが成長していくことで、自分のあり方から時間の使い方まで、全てが変わってきたように思います。

高野:なるほど…深い…。では他に、東京と大阪の違いで感じることはありますか?

小野:東京で仕事をしていた時は、実績や肩書で判断される場面が多いように感じました。逆に大阪は、その人自身が面白いかどうか、人間性に焦点があたることが多いですね。「君、おもろいな!今度一緒になんかやろう!」みたいな(笑)

でも、私はそこにずっと違和感がありました。それは「東京も大阪も、その人のスキル自体にあまり焦点があたっていない」から。プロフェッショナルとしてスキル面こそちゃんと見て判断してほしい、と。

高野:確かに、大阪に関して言えば「その人が面白いかどうか」は重要視される気がします。でもプロである以上、自分のスキルや情報もどんどんブラッシュアップしていかないといけませんよね…自戒の意味も込めて、あ、私が面白い人間だということでは決してなく…。

小野:そういった意味では、大阪より東京の方が「スキルで勝負できる土壌」はあったかもしれません。大阪は「ちょっとクローズドだなぁ」と感じることが多いです。既にあるコミュニティの影響力が大きいので、そこにいる人達がなかなか出てこなかったり、新しい人がその輪に入ることも少し難しい気がしますね。

東京と大阪のチャンスの違い

高野:東京を拠点に働かれている方から「主要メディアの拠点は東京だし、政治も東京が中心なので、何かしようと思えばすぐにメディアや政府と繋がることができるから、ビジネスが加速する」と聞きました。実際はいかがでしたか?

小野:それは言えていると思います。また東京には、チャレンジしたい人や優秀な人を積極的に引き上げようという空気がありますね。まだ出産する前、働きながら東京大学先端科学技術研究センターが創設した「先端知財人材育成オープンスクール」という短期の人材育成プログラムに通いました。

2002年に、当時の総理大臣の小泉純一郎さんが「知財立国(知的財産立国)」を国家戦略の一つに掲げたことで、知財関係のプロジェクトに事業費がつくようになったんですね。その一環で、私が通ったような人材育成のプログラムができたり、研究会ができたりして、省庁の政策立案をしている人や大学の研究者、産業界の人など、年齢や性別はもちろん所属や専門分野も違うたちが「知的財産で企業・国を強くする」という同じ志のもとに集まる場、機会ができたんです。

そして、そこでやる気や実力を認めてもらえると、その後大学の研究員をしてみないか、とか知財立国政策に関するプログラムの手伝いをしないかなど、様々なチャンスを頂くことができ、自分のキャリアが開けていく。「チャレンジしたい、学びたい」という好奇心で集まった人たちが、その場でチャレンジして、学んで、またその先の道が開かれるという雰囲気が、東京にはあると感じました。

一方大阪では…そういったものはあまりないように思います。大阪には、セミナーはあるけれど、参加してそこで終わりというものが多いですね。

高野:なるほどーそれはすごい。しかも会社の研修ではなくて、本業とは別の社外活動でそのような場があるなんて面白いですね。

小野:そうですね。もちろんお金になる話ではないですが、それよりも「知識的な欲求」「教養」といったものを求める人にとって大きなチャンスがあるのが東京です。私は当時はまだ多少は若くて女性ということで珍しがられ、かつ元気があったので、より多くのチャンスを与えてもらうことができたと思います。

高野:でも、会社に務めながら、社外でそこまで真剣に活動するなんて、結構大変ではなかったですか?

小野:そうですね。時間もお金もかかるので、大変といえば大変かもしれません。でも、そこに集まっているのは、言ってしまえば組織にはあまり合わない人たちというか…自分たちの理想に向けて「世の中の何かを変えていこう」という熱量の高い人たち。だからこそ、その場から新たなものがどんどん生まれていくので面白かったです。

会社、特に上場してるような企業、歴史ある組織は、そういった熱量の高い人ばかりで構成されているわけではないので、社外で熱量の高い人たちに触れ、評価されることは私の大きなモチベーションでした。

社内に全ての評価を求めるのではなく、社外からも評価を得られることで、たとえ社内でうまくいかないことがあっても、精神はいつも安定していたように思います。

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子どもを生む前と産んでからの違い

高野:小野さんは、子どもの頃から「将来はバリバリ働こう」と思われていたのですか?

小野:いえ、全くそんな気はありませんでした。私は2人姉妹の妹なのですが、姉は就職活動すらしていませんでしたし、私も大学は文学部を選んだくらいなので「将来働く」ことをあまり視野に入れていませんでしたね。

当時まだ根強かった「女の子は働かなくていい」という価値観を疑っていなかったように思います。

高野:私も母が専業主婦なので「女の人は働かずに家にいるものだ」と思っていました。働く女性が身近にいなかったので、「女性が働く」という概念そのものが自分の中に無かったですね。

小野:大学は文学部に進み、その後農学部に転向して大学院に行きましたが、その過程で少しずつ、働くことを意識していったように思います。私がいた研究室では、大学院を卒業した後は、ほぼ全員が大学に残り研究の道へ進むのですが、私はあえて就職の道を選びました。

それは「今しかできない方を選ぼう」と思っていたから。

社会人になった後からでも、研究の道に進んだり大学に通い直すことはできる。でも、新卒で企業に入社し働く経験は、今しかできないと思いました。だから、就職の道を選びました。「今しかできない方を選ぶ」というのは、今も意識していることです。

高野:素敵です。今しかできない道を選んで来られたからこそ、今の小野さんがあるのですね。話は少し変わりますが、小野さんは2人のお子さんのママですが、出産前と、出産後で仕事の仕方や考え方は変わりましたか?

小野:大きく変わりましたね。働き方の質や、そもそもの考え方が大きく変わったと思います。子どもが生まれると、今までのように自由に動くことはできませんし、時間もお金も子ども中心の生活になります。子育ては日々うまくいかないことの連続なので、ある意味そこで大きくつまづいたからこそ、変われたのかなと。
なかには、つまづく暇がないほど常にトップランナーとして走り続ける方もおられます。それはそれで、とても素敵な生き方なのですが、たいていの人はそのような生き方は真似できませんよね。

高野:そうですよね。独身時代や子どもが生まれる前は、ある程度自分の予定で動けることが当たり前でしたが、子どもが生まれるて全てが崩れました。私も今、毎日14時に長女をお迎えにいき(なぜ14時なのかは…話せば長いので割愛)、その後お友達と公園に行くことも多く、帰ってきたらもう晩御飯の準備が待っている生活です。

自分の時間はほぼ午前中しかありませんが、保育園に通う次女が熱を出すと、その午前中も潰れてしまう。今までこんな経験はしたことが無かったので、この生活になった当初は、ストレスで頭がおかしくなりそうでした。

まぁ今でも家でパソコンしながら「お母さん今仕事してるから話しかけんといて!」とブチ切れてることも多いですが(笑)

でもだからこそ、思い切って様々なことを捨てることができました。仕事の質という意味では、以前よりはるかに高くなったと思いますね。

小野:出産すると、今まで一生懸命真剣にやってきた人ほど、一度立ち止まるのだと思います。また、立ち止まることや、今までのように出来ないことに焦りを感じることも多いと思います。でもね、それでいいと思うんですよ。

私はずっと知財のことをやってきましたが、実は最近「知財はブレーキの役割を持つ」という考えにたどり着きました。新しい技術やビジネスを生み出すことはアクセルだと思うのですが、ずっと新しいものを生み出し続けることには限界がある。

自分が病気をしたら?年を取って動けなくなったら?会社の経営が思わしくなくて開発に投資できなくなったら?…そんなときのために、今までの技術を真似されないように「知財がブレーキの役割を持つ」のだと思います。

そこで働いている人たちが安定して生活をすることができ、企業として持続可能にしていくことが最も重要なことですからね。

若い頃は「ブレーキなんていらない、常にアクセル全開!」と思っていたけれど、一方でブレーキもまた必要だと、この歳になって思うようになりました。もちろんブレーキのかけ方を間違えては駄目ですけど。

高野:なるほど…深い。私も以前は「売上を去年より上げる」とか「去年より目に見えて成長していないとだめだ!」と、なかば強迫観念のように思っていた時期が長かったですが、立ち止まることも必要ですよね。そこで初めて見えることがある。
以前ある方から「上に芽を出すだけが成長じゃない、下にしっかり根をはるのも成長だ。そうじゃないと立派な木は育たないよ」と言われた時、すごく納得しました。

小野:そうですよね。だからといって何でもかんでもブレーキふむのは良くない。若者をやたらと批判するだけのおじちゃんおばちゃんにはなりたくないですよね(笑)だから、アクセル全開で走ってきた人間が、ブレーキしか無いおっちゃんおばちゃんにならないために、今から何ができるのか。そういったことを、40代になったらより真剣に考える必要があるのだと思います。

できなくても良い

高野:私は、子どもを生んで変わったことの一つに「できない、しゃーない」と思えるようになったことが挙げられると思います。前は「仕事は速さこそ命」だと思っていたので、徹夜してでも残業してでも依頼にすぐに答えることが良いことだと思っていました。

でも、出産すると、時間もなくなるし、予定も立たないし、体力も落ちるし、やりたくてもできない。数年はそこを根性でカバーしていましたが、今年になって「もう限界だ」と感じました。
そこで「ごめん、これはすぐにはできない。1週間は必要」「今までは1週間で出来ていたけど1ヶ月かかる」と相手に伝えたり、できないことをふったりしていくうちに、「それでも周りは案外すんなり受けて入れてくれるもので、何も不具合は起こらない」と気づきました。

小野:そうですよね。実は今、発達障害を持っている方と一緒にプロジェクトをまわしているのですが、発達障害の方は「今日はすごく調子がよくても、明日は全然できない」ということがしょっちゅうあるんです。それは決して「やる気が無い」とかいうレベルではなくて。

最初はそういった場面に出くわした時とまどいもありましたが、そのうち私自身も「今はできない」「ちょっとしんどい」と言えるようになっていきました。すると、自分自身ものすごく楽になって。

若かりし頃のアクセル全開の自分は「やる気がない、できない人は要らない」と思っていましたが、みんなが一生アクセル全開は無理です。アクセル全開でずっといける人も一部いますが、そんなスーパーマンは稀ですよね。圧倒的にそうじゃない人の方が多いのだから、「では、そんな人たちがいても回るよう組織を作っていくほうが自然だ」と思うようになりました。
そのあたりが、最近すごくふに落ちてきましたね。「休みたい」と言える、そして「休める」ってすごい大事だと思います。

高野:すごくよく分かります。私は小さい会社なりにトップでやってきて、それこそアクセル全開でずっとここまで来ました。長女が生まれてからしばらくも、出産当日に電子書籍を徹夜で出版したり、産後1ヶ月で復帰したり…今思えば狂ってましたよね(笑)
一緒に会社をつくって二人三脚でやってきた前本もも2児の母ですが、よくこんな私と一緒に走り続けてくれたなぁと思います。彼女は器が大きいけれど、私が逆の立場だったら相当文句言ってるはず(笑)

で、今年あたりからですかね。私もブレーキを意識し始めて「無理なく自然体でやろう」「できるところを自分たちらしくやろう」と、そうやってペースを落としてから、お互いに楽になりました。

やはり組織のリーダーが「休もう!」と言わないと、変わらない。リーダーは超人が多いので、根性で乗り切れてしまうと思うんですが、それでは一緒にやってる仲間がもちません。それでメンタルダウンしていく人も多いように思います。

小野:そうですよね。今の30代の方に本当に伝えたい。勇気を出して、肩の力を抜いて、自分らしく変わっていこうと。「いつまでも全速力で、このままいかねば!」ということではなく、思い切ってブレーキを踏んだとしても、それは退化ではないですから。その分、質はかわり、自分の度量もぐっと広がる。
もちろんずっとアクセル全開でいけるならそれでいいですけど、そこに違和感を覚えている人がいたら「少し立ち止まることも、まともなんだよ」と伝えてあげたいです。

大阪へ戻ってきたきっかけは?

高野:小野さんは東京のほうがしょうにあっていそうなのに、3年前に大阪へ戻って来られたきっかけは?

小野:実は、社外で知財の活動をしていくうちに、「本業の会社務めもあり、子育てもありで、今は時間も労力も限られているけれど、会社を辞めたら、もっと自由に自分のやりたいことに進んでいけるのでは」と思うようになりました。

そして以前勤めていた会社を辞めようと思ったのが2014年1月のこと。

会社を辞めた後は、もともと興味のあった里山再生とか環境保全のことがやりたいと思っていました。
ただ、私が仕事をやめてしばらく収入のめどがたたないのに、東京の暮らしを続けるのはコスト面で難しいなと。また子育ての環境面でも、東京より大阪で子どもを育てたいと考えていたので、長女が小学校に上がるまでに会社を辞めようと決めました。

高野:すごいご決断!ご主人はなんとおっしゃっていたのですか?

小野:私は仕事を辞めるから!と宣言し、夫にも「2015年3月までには大阪に帰るから、関西で仕事探すなりなんなりしてね」と伝えて(笑)
実際2015年3月に退職希望を会社に伝えましたが、その時点ではまだ先のことは何も決まっておらず、そこから一つ一つ「じゃあ住む場所どうする?」「家は?」という話をしていたところ、8月になって夫の次のポストが決まる目途がついて、大阪に戻った時に住む家を半日で決めて、2016年のお正月に大阪に引っ越してきました。

高野:ずっと東京でお仕事をされてきたところから、全く文化も違うし人脈も無い大阪でフリーとしてやっていく。怖くはなかったですか?

小野:怖さはありましたが、大阪でもちゃんとしたコミュニティに顔を出せば、信頼できる人に出会えるはずだと思っていました。
また、大企業の肩書が無くなった人間がどう扱われるか、どれだけ吹けば飛ぶような存在かは知っていましたが、東京でもそれなりに道を切り開くことができました。また今はずいぶんと個人の時代になってきたと肌で感じていたので、だったら大阪でもいけると思いました。

高野:すごい…!小野さんのお話を聞いていると「変わることこそ自然」だと改めて感じました。人生100年時代、自分にスキルをつけて、楽しく、自然体で生き抜いていきたいです。今日は有難うございました!

小野:槇原敬之さんの「遠く遠く」って歌に「大事なのは変わってくこと、変わらずにいること」って歌詞があるんですけど、本当、そうだな、と。年齢とか環境に合わせてためらいなく変化してみると、意外に、自分が大事に思うこと、大事にしたいことは変わらない、変えられないんだなって思ったりもします(笑)。こちらこそ、今日はありがとうございました。