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柔軟な働き方を自ら実践する女性社長に編集長が突撃取材!〜神野沙樹さん〜

Woo!ネタリストであり、先日とても反響の大きかった記事「ワーママにオススメな自宅と職場の関係は、職住近接?職住分離?それとも・・・?」を書いてくださった、株式会社Niesul / KES社労士事務所神野沙樹さん。親しみやすく、信頼できる、素敵なできる女性オーラをまとった神野さんに、今日はお話を伺いました。

1.就活を機に「人事」に携わりたいと思うようになった。


ー神野:母親がずっと働いていたので、「自分もきっと将来は働くんだろう」と思っていました。

大学3回の秋。当時は就職氷河期だったので「こら必死で就活せな!」と思い、相当数の企業を受けました。そしてある機械メーカーの会社説明会に行った時のこと。その会社の人事部の方が発した言葉に、心を鷲掴みにされました。

「営業という仕事は商品を買ってくれる人がお客様です。じゃあ、僕たち人事部にとってのお客様は誰?それは、皆さん、学生さんなんです。この会社説明会に来てくれた全員がうちの会社に入社されることはないけれど、これもせっかくのご縁。

だから、この会社に入るか分からないなんて思わず、就活や進路の悩みがあれば、なんでも気軽に相談してきてください。少しでも皆さんの就活がうまくいくよう応援しますから!」

「めっちゃ良い人!めっちゃ素敵!」と思いました。そのあたりから「人事部は会社の顔なんだ、面白い仕事だ」と人事部の仕事に興味を持つようになりました。

それまでは「新人は最初は営業からスタートするもの」と思っていたので、面接でも「営業やります!」と言っていましたが、それ以降は自分の本心である「人事の仕事に携わりたい」ということを面接でも伝えるようになりました。

で、結局、この衝撃を受けた機械メーカーに入社することになりました。

ー高野:そうなんですね。でははじめから「社労士になろう!」と思われていたわけではなかったんですね。

ー神野:そうなんです。大学の時「労働法」のゼミをとっていまして、就活していたある日ゼミの教授から「就活どうや?」と聞かれました。

「人事部に興味がある」と話すと、「人事系の資格の1つに、社労士というものがある。きっと入社してから役に立つから勉強してみたら?」と言われたんです。「そうなんや、じゃあ勉強してみよう」という軽い気持ちで、4回生の時に社労士の試験を受けました。結局その時は本気で勉強してなかったので、箸にも棒にもかからなかったんですけど…(笑)

新卒で入社した会社では、総務部に配属になりました。株主総会資料の作成や契約書のチェックといった法務部のようなお仕事や、会社の代表電話や来客対応等、様々な仕事を経験させてもらいました。

また6年先輩に、大変仕事ができる素敵な女性の先輩がおられて、その方からたくさんのことを教わりました。
「仕事をするときは、ちゃんと全体像を掴んでからやる」「組織の中での根回し、動き方、決裁のもらい方」など、仕事の基礎から組織で働くということまで全てですね。

また当時の会社では、10年選手の女性の先輩が、自主勉強会を開催されていました。当時会社には女性役職者はいませんでしたが、「女性もしっかりスキルを身につければ、会社の中でちゃんと意見が言えるし、自分のポジションを確立することができるんだ」と知りました。

これを新人の頃に感じられたのは良かったですね。

2.転機は突然に…


ー神野:ただ社会人になって3年目の頃。「いつかは人事部に行きたい」という思いがずっと心のどこかにあった中で、
「そういえば社労士の試験を大学4回の時に一回受けてるし、もう一回ちゃんと勉強して資格取ろうかな〜」と思い始めました。

思い立ったが吉日な性格なので、そこから週2日、資格取得のための学校に行き勉強する日々がはじまりました。

そしてその時に、なぜか…、私の母が「私も社労士受ける!」って言い出したんです(笑)

ー高野:え、なんでですか!?笑

ー神野:私もびっくりしたんですが、母が前につとめていた会社をちょうど辞めた時期で、辞めた期間を無駄にできないという理由で、「お母さんも頑張るわ!」と奮起してしまったんです。

これで私だけ落ちたなんてシャレならないので、私も必死に頑張ることになりました…。
頑張っておかげさまで2人とも合格しました。ちなみに、母のほうが成績は良かったです(笑)

その後母は、転職活動して就職し、今もその会社で企業の中の社労士として働いています。

そんなこんなで社労士の資格をとったものの、2年間は放置していました。大学の時ゼミの教授から「人事系で役立つ資格」と言われましたが、会社の中で活かす機会が残念ながら無く…(爆)

そうこうしているうちに、大阪の本部機能が東京に集約されるという話になり、東京に転勤することになりました。

そして東京転勤後「社労士の資格をこれからも放置し続けたら、せっかく勉強したことも忘れてしまう!じゃあ、社労士事務所に転職しよう!」と転職することにしました。26歳の時でした。

会社が嫌だったわけではなく「せっかく資格を取ったのに勿体無い、活かしたい!」という一心でした。

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3.転職から、まさかの独立


ー神野:東京で、社労士事務所に転職をしましたが、当時から開業志向は全くありませんでした。でも人生何があるか分からない。

その事務所で運命を変える同僚との出逢いがありましたす。

その方は私より一回り年上の女性の方で、開業志向がある方でした。私が勤めていた社労士事務所は、社労士向けのセミナーも開催していたので、独立されている社労士さんと会う機会が日常的にあったり、

女性士業の会にも参加すると、「え!お子さんいらっしゃるんですか!素敵~しかも綺麗!」という人ばかりで皆さんキラキラされていました。

するとその同僚が「神野さんも開業できるよ!やってみようよ!」と言ってきて、そしたらだんだん「私もできるかも…」と思うようになって、なんと半年後に本当に会社を辞めて独立しました。

ー高野:すごい!勇気ある〜

ー神野:当時お付き合いしていた方と結婚を考えていたこともあって、地元の大阪に戻ろうとも思っていたので、退職して大阪に帰って独立をしました。28歳の時です。

女性は男性に比べて、自分のやりたいことにチャレンジしやすい環境にあると思います。

もちろん、ライフイベントやプライベートの変化で自分の仕事が左右されたり、旦那さんの影響で転勤になったり…ということはあります。

でも、プラスの面を考えると、大黒柱として家族を養う役目を担っている男性(のほうが今の時代はまだ多いと思うんです)に比べると、「今は給料gが下がっても、やりたいことやろう!」と一歩踏み出しやすい。

でも結局、その人とは結婚しませんでした。女性の人生、ほんとなにがあるか分からんですよね。

ー高野:そうなんですか!その話、また日をあらためて詳しく聞かせてください!…私も似たような経験があるもんで…笑

ー神野:独立してからは、もといた会社の大阪での仕事を受けつつ、一方で自分でお客様を開拓していく日々でした。

ただ、私は営業をしたことなんて全くなかったので、全く右も左も分からず…

「とにかく多くの方に会いに行くしかない!」と思い、たくさんの交流会やセミナーに顔を出しました。でも営業経験は皆無だったので、セミナーや交流会で名刺交換をした後に会社に訪問して営業しにいくという思考回路が無かったんですよね(笑)

たくさん人と会うけれども、仕事にはなかなか繋がりませんでした。

とにかく、どこかのタイミングで声をかけて頂けるように顔を売っておこうと動いているうちに、紹介でぽつぽつとお仕事を頂けるようになりました。

ー高野:そういえば現在の旦那様とはいつ出会われたんですか?

ー神野:夫とは、起業してから出会いました。結婚後は、お互いに自分で事業をやっているので、言わなくても理解しあえる部分が大きいのは、ありがたいですね。

また私は直感で動くタイプ、夫は戦略戦術を考えるのが得意なタイプで、真逆なんですが、

・この資料、お客さんに出すんやけどどう思う?
・こういう風に考えてるんやけど、いけると思う?

とアドバイスを求めたりすることもあります。同じタイプなら衝突しているかもしれませんが、違うからいいんでしょうね。

結婚後「こればかりはどうなるかわからないけど、子どもを授かることができればいいね」という風に話していたら、1年後に出産しました。

実は当時スタッフが先に出産していて、4月に復帰予定でした。で、なんと自分が4月に出産予定。「めちゃかぶってもたやん!」っていう…。

また私の予定日は4月18日だったのに、4月2日に破水して帝王切開になったので、何にも準備をしていないまま、あれよあれよという間に出産しました。

ただ、顧問先からの社労士業務についてはほぼスタッフに任せられていたので、そこは安心して出産することができたのは有難かったです。

4.6年たった。34歳の決意!

ー高野:出産からどのくらいで仕事に復帰されたのですか?

ー神野:仕事に復帰…厳密には出産した次の日からブログを書いたりしていましたが…笑、産後5ヶ月目から保育園に娘を預けて本格復帰しました。

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ー高野:復帰後の働き方は変わりましたか?

ー神野:働き方というより、働く時間が変わりました。

私は今職場と家が少し遠いので、16時半には事務所を出ても、保育園に18時半に到着するという状態なんです。だから、夕方は仕事できない分、娘が寝ている朝や夜に仕事をしたりすることがあります。

育児も、夜は私が、朝は夫が担当という風にしているので、朝はほぼ夫に娘を保育園に送ってもらっています。最近パパが朝の保育園の送り迎えをする家庭も多くなってきましたね。

そんなこんなで開業して6年目。いい意味で、当初の想像を超えた6年間でした。
最初は、「こういう会社にしたい。こんな未来を作りたい。」なんて、そんなこと考える余裕もなかったですし、正直「目立ちたい!自分が活躍したい!」という方が大きかった。

でも6年間で様々な方々との出逢いや、失敗も含めて色々な経験をする中で今は、
「働き方、ひいては生き方を作っていく会社になりたい」と思うようになりました。

その結果、自分だけではなく、家族、仲間、お客様、ひいては世の中が少しでもよりよく変わればこんなに嬉しいことはありません。

ちょっとは大人になったでしょ?笑

あ、そうそう、プライベートでは、6月に淡路島に移住する予定なんです!

ー高野:え!?淡路島?大阪の淡路じゃなくて、淡路島ですか!?

ー神野:もちろんそうです!ついに決意しました!今私は34歳で、常々思うんですが、「ワークライフバランスを取ろう!」と無理にわけなくても、仕事も生活も一人の人の人生の中に入ってるものなので、もっと自然に共存できるはずなんですよね。そういう働き方があってもいいと思うんです。

そして私や当社自身が、柔軟に新しい働き方を作ることができて「あ、神野さんとこがこんな風にしてるってことは、うちもできるんじゃないか!?」と一人でも多くの方に思ってもらえる存在になっていきたい。

淡路島移住というと、「優雅に老後を過ごす」といったイメージが強いのか、「ゆとりある生活をする」という印象を持たれることが多いです。でもそうではなく、恐らく今よりもさらにがっつり仕事します(笑)

でも、ワークとライフを切り分けないので、今よりもさらに「心のゆとり」や「子どもに向き合う気持ち」は増えると思っています。

淡路島移住のイメージとしては、淡路島支店を作る感じです。私も夫も「週2日は大阪や京都でがっつり仕事をする。あとの日は淡路島で仕事をする」という風にできればいいなと思っています。

またそこにある産業や技術を、ママさんたちが伝承していったり、能力があっても子どもがいるから働けないママ達が力を発揮し働ける場所も作っていきたい。

そこが図書館やカフェのようになり、子どもも大人もどんどん集まるような場になればいいなと思っています。

今はネット環境が整っているので、なんとでもなりそうですよね。やってみないと分からないし、あかんかったら戻ってこよう!っていう感じです。

たぶんね、世の中シンプルなんですよ。わちゃわちゃしてるように見えて、実は全部1つの円でつながってるんですもんね。これからの仕事に、淡路島支店設立に、ワクワクがとまりません!

ハンサムWoo!manプロフィール

株式会社Niesul / KES社労士事務所 代表 神野 沙樹(かみの さき)さん

大学卒業後は、大手機械メーカーに就職。在職中に社労士試験に合格し、その後東京の社労士事務所へ転職。28歳で独立し、「とけこむ社労士」KES社労士事務所の代表として活躍の場を広げている。プライベートでは1児の母。新しい働き方を自らが創りだすべく、今年6月には淡路島への移住を計画している。

神野さんが働く KES社労士事務所のサイトはこちら