働く女性の皆さんこんにちは。大好評の、女性が活躍するベンチャー企業の社長インタビュー。
今回のゲストは、株式会社エクスの抱厚志社長。「日本のものづくりをITで支える」という思いのもと、製造業の生産管理システムを製造、販売し、業界でのシェアは国内トップクラスを誇ります。「製造業向けの生産管理システム」しかも「IT」と聞くと、男性ばかりのゴリゴリな会社のイメージがある人も多いはず…でも実際オフィスにお邪魔すると、女性社員さんも多く、しかも女性リーダーもおられるから驚き!今回はエクス創業者でもある、抱(かかえ)厚志社長にお話を伺い、事業にかける想いを丸裸にしてきました(笑)!(TOP画像は趣味のベース演奏の図)
1.学生時代から「将来は会社を興そう」と思っていた。
ー抱:僕の実家は商売をしているのですが、後を継ぎたくありませんでした。それは、父親や事業内容が嫌ということではなく、純粋に「自分でゼロから事業を興してみたい」という気持ちがあったから。実際僕は、学生の頃から株や商売をやっていたんです。
ー高野:学生の頃から商売とは…私の学生時代は、バイトと旅行しかしていませんでした…すごいです…!!!
ー抱:そ、そんな驚かなくても(笑)…とは言え、ビジネスをしていたわけではありませんでした。マネーゲームで増やしたお金で、商売をしていたという感じですね。そうそう、マネーゲームと、商売と、ビジネスって、全然違うんですよ。
・マネーゲームとは、単純にお金を増やすこと。
・商売とは、人と人の関係性の中でやり取りが生まれ、お金やものが動いたりすること。
・ビジネスは、サービスを作り世の中にイノベーションを起こすこと。
という意味で、僕は『ビジネス』がしてみたかった。そして『コンピューターに関わる仕事』がしたいと考えました。今までの歴史を見てみると、農業社会から工業社会になり、情報社会になっている。つまり今後はコンピューターの時代になっていくだろうとぼんやり思ったわけです。
ただ、コンピューターの分野のことは何も分からないので、それには一度企業に勤めてみる必要がありましたが、ここでネック…。僕、文学部で、バリバリの文系だったんです。
ー高野:理系と対局にある学部ですね…。どちらかと言うと女子の学部というイメージがあります…。
ー抱:そうなんです。コンピューターやシステムの会社に就職となると、やはり理系の学生の方が有利です。それなら、「文系でもエンジニアになれる教育の仕組みを持った会社」を探そうと思い就活をはじめました。
色々内定は頂きましたが、「将来起業したい意思を伝えた上で、文系でもエンジニアになれる道がある企業」である大手システムインテグレータに入社しました。入社した頃は、「5年勤めて独立しよう!」と思っていましたが、仕事が大変面白く、結局10年間働きました。
ー高野:面接の時点で「将来起業する!」と伝えられたのですね。「起業すると言って落とされたらどうしよう…」という気持ちが先に来てしまい、普通はなかなか言えないものだと思います。
ー抱:普通はそうやと思いますよ。そういう意味で、僕は生意気な学生だったわけです(笑)。でも起業するという気持ちがあったので、社内では率先して手をあげ、様々なことを経験させて頂きました。「全ての経験が将来の学びになる!」と思うと、僕にとっては全部が学びの種でした。責任ある仕事や、部下を持つこと、難しいお客様の担当まで…たくさん任せて頂いて、本当に面白かったです。
ー高野:どんな会社に入っても、自分次第で仕事は面白くしていけるのですね。ただそんなに面白かったら、「もうこのままこの会社に勤めておこう。大手で、先は安泰だ」とはならなかったのですか?
ー抱:そうはならなかったですね。「起業する」気持ちが強かったというのと、「手段と目的」を意識して仕事をしていたからだと思います。目の前のことに一生懸命になると、ついつい目的を忘れてしまうものなので、「手段と目的」については意識的に考えて仕事することが重要だと思います。
そして10年経った時。退職する旨を会社に伝えましたが、案の定引き止められたり役員の方に呼び出されたり…ただそんな中、僕が独立するのを押してくれたのが、直属の部長と就活の時に僕の面接をしてくれた人事部の女性の課長でした。
「君は、面接の時から独立したいって言ってたもんな。だったら、思い切ってチャレンジしてみなよ!」
と背中を押してくださって、「本当に良い会社に入ったな」と思いました。
2.順風満帆から奈落の底へ。波瀾万丈な人生がスタートする。
ー抱:独立は32歳の時。その時すでに結婚し、娘が生まれていました。僕は26歳の時に結婚して、31歳で妻が出産したので、子どもが生まれてすぐの起業で、さらに独立後すぐに、妻が二人目を妊娠しました。ただ、後から「あの時やっとけば良かった!」と後悔するのだけは嫌だったので、子どもがいても、独立する意思は固かったんです。
ー高野:すごいですね…!そしてそんな状況で独立OKされた奥さんがすごい…!
ー抱:実は独立には、妻の後押しもありました。独立すると決めた時「結婚する前からずっと独立するって言ってたから、まだせんのか、まだせんのか、いつするんかと思ってたわ」と言われまして…器の広い、度胸のある妻に感謝です。また子どもがいたからこそ、「絶対家族を幸せにするんだ」とはらが座りました。
「もし勝負してだめでも、どんな仕事をしてでも妻と子どもを養ってやる。あの仕事なら月に●●万円、この仕事なら月に●●円くらいは稼げる…。そしたら小さな幸せくらいは築いていけるだろう。」といったシミュレーションはしていました。
ー高野:抱社長は「行動力の人」であり、一方でシミュレーションも綿密にされるのですね。
ー抱:普段はイケイケドンドンに見られますが、結構考えてるんですよ(笑)行動することは大事ですが、PDCAも考えずやみくもに無謀なことをするのはよくありません。「経営は仮説の検証」だと僕は思っているので、仮説を立て、シミュレーションし、考え尽くす。あとの決断は勢いと感性で決める。このバランスが大変重要です。
ー高野:なるほど…!また、抱社長は独立後、とんとん拍子でうまく行かれているイメージがあるのですがが、実際はどういかがでしたか?
ー抱:…んな訳ないですやん、色々ありまくりでした(爆)!最初の試練は起業後すぐに訪れました。当社はシステム開発の事業として創業しましたが、システム開発というのは、最初に開発に投資する期間が長いんです。当社の場合は1年間、ひたすら開発をしていました。売るものが無いので売上は当然ゼロで、開発や社員の給料で出て行くお金ばかりで、自分の貯金を切り崩してやりくりしていました。
ただ「日本のものづくりを自分たちの手で変えたい」という一心だったので大変充実していました。そして1年が経つ頃、だいぶ製品も出来あがってきて、お客様のところに内示できるようになり、「この感じだと、キャッシュが回り出しそうだ」という目処が立ったので、満を持して平成7年の1月8日にプレスリリースを出しました。
すると10日後の1月17日、阪神淡路大震災が起きました。
シミュレーションしていたとは言え、大地震がくることは予知できませんし、まるで思ってもみませんでした。当然お客様はシステムどころの話ではありません。その前にまず、「生きていかないといけない。」「社員をお風呂に入らせないといけない。」「水を確保しないといけない。」という状態…。
「もはやこれまでか……」と思いましたね。
独立して1年間頑張ってきましたが、こればかりはもう自分たちの努力だけではどうしようもない。資金もすでに底をつきていたので、もうだめだと覚悟を決めました。社員にも、「2月末まで頑張って無理だったら会社をたたむ」と1月末に宣言しました。すると2月に入ったある日、お客様からこう言われました。
「決算の関係で、先に今月まとめて入金したいんだが、それでもいいか?」
「こんなことってあるのか…!」と思いましたね。僕は神様を信じるタイプではありませんが、神様は僕にまだ「経営の道で頑張れ!」と言っているんだとその時感じました。天命というか…。今思えば、最初にこういった試練があって良かったと思っています。
高く大きくジャンプするためには、一回ひざを折らないといけません。もし最初から順風満帆だったなら、きっと今のエクスはありません。自分が最後の最後まで『日本のものづくりを変えたい!』という思いで動いていたから、きっと神様がチャンスを与えてくれたんでしょうね。
ー高野:いいお話…泣きそうです。。。
ー抱:ちょっと、こんなとこで泣かんといてくださいよ(笑)。それ以降8年間は「小集団高収益企業になろう!」という方向性で、社員数は20人ほどでした。「儲かればその年にみなに全部分配する。そして次の年はまた一から頑張ろうぜ!おもしろおかしくやろうや!」という社風でした。
実は当時は、仕事をお断することも結構ありました。ずっと関西でやっていくつもりだったので、関西以外での仕事のお話が来てもお断りしたり、受注が立て込んでいたら、新たな仕事の依頼はお断りしたり…。「エクスは仕事を断ってくる!でも頼んだら、期待をはるかに超えるものを作る!」お客様にそんな風に思って頂いていたので「仕事を断ることもブランドだ」と考えていました。
ー高野:まるで高級外車のポルシェみたいですね。「買いたい!」とお客様が注文しても、受注枠がいっぱいなので1年待ちです…のような。
ー抱:確かに、そのような感じかもしれないですね。ただ、お客様が満足されたら「関西以外の拠点にもシステムをいれて欲しい」ということに当然なるわけです。またお客様からも「おもしろおかしくもいいけど、そろそろちゃんと経営のことも考えたら?」と言われるようになりました。
当時顧客が400〜500社くらいになっていたので、ここが岐路だと思い、社員を集めてどちらの方向に進むか聞いてみました。
・今まで通り「関西で仕事をして、儲けたら皆で利益を分配する、おもしろおかしい少数精鋭経営」なのか。
・「顧客のニーズに答える中で、拡大路線に行く。ただ当然拠点も増えれば出費も増えるし利益も全部分配はできない。」道なのか。
僕は、きっとみな「今のままでいい」と言うだろうと思っていました。するとなんと結果は、満場一致で「大きくしよう!」という方向に!「ものづくりの日本の現場を、エクスが良くするんでしょ?じゃ、お客様から求められてることにこたえないと!」ってみなが言ってくれました。
きっとみな自信がついてきて、「もっとチャレンジしたい!」という思いが沸き上がってきたタイミングと重なったんだと思います。それ以来、広島、名古屋、東京、福岡、沖縄に支店を出していきました。
ただ、会社運営の方向性は変わっても、当社の志や「日本のものづくりをITで支える」という思いは変わりませんでした。青臭い、理想だと思われるかもしれませんが、この思いを捨てなかったから今のエクスがあると思っています。
ー高野:抱社長もすごいですし、社員さんもすごいですよね。窮地に立たされても諦めない気持ちや、エクスの志を貫いてチャレンジしよう!という気持ち。「企業は人」とはまさにこのことですね。
ー抱:そうですね。今の僕があるのは社員のおかげですし、エクスが成長し続けているのも社員の頑張りのおかげ。「企業は人なり」まさにそうです。
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3.女性活躍を考えるようになったきかっけは、東日本大震災だった。
(本が大好きな抱社長。会社にはみなが自由に閲覧できる大量の本が置いてあります)
ー抱:2008年、みなさんの記憶にも新しいと思うのですが、リーマンショックが起こりました。色々とシミュレーションしていたとはいえ、アメリカの経済がここまで日本に大打撃を与えるとは思っていませんでした。その頃から、経済のグローバル・ボーダレス化をより意識するようになりました。海外の経済は他人ごとではないと痛感しました。
リーマンショックも、なんとか黒字で乗り切りましたが、ようやく上向いてきた頃、2011年に東日本大震災がおこりました。この時ばかりは大変でしたね。製造業は、下請け、孫請け…と裾野が広い。ですから親会社が止まれば工場は軒並み止まってしまいます。被災されたお客様もあり、当然システムどころではありません。システムのお金も払えないお客様には「お金はいいですから復興を優先しましょう!」と赤字覚悟で対応しました。
当時とても大変な状況であったにも関わらず、当社がリストラをすることもなく(創業以来一度もリストラしたことはありません)乗り切れたのは、今までの蓄えがあったことと、社員一丸となって頑張ったからです。
ー高野:震災の時は、被災された地域の方はもちろん、本当にどの企業様も大変で、一丸となって乗り切っておられましたよね。これをきっかけに、本社機能を分散させたり、組織体制を見なおされた企業様も増えたように思います。
ー抱:そうですね。「会社の強さは人の強さなんだ」と痛感したと同時に、初めて真剣に「女性活躍」について考えました。高野さんが「女性活躍に取組むことは、これからの企業には必須」とずっとおっしゃっていましたが、そのことが腑に落ちました。男女問わず優秀な人が長く働ける環境を作っていかなければ、様々な局面を乗りきれる強い企業になれないと気づきました。
当時新卒で入社した女性社員が4,5年経ち、徐々に戦力として活躍してくれるようになっていました。そんな優秀な女性社員に長く活躍してもらうには、出産しても働き続けられる環境を作っていかなければならない。「出産するから退職する」では企業にとっては大きな損失ですし、今後少子高齢化が進んでいく中で、男性ばかり採用できるわけではありません。
また、長く勤めてもらうだけではなく、責任ある仕事を任せて、どんどん戦力として活躍してもらわないといけない。幸いにも、IT業界は頭脳的肉体労働で、男社会だったところから、インターネットの普及により知識労働の時代になってきました。仕事に性別は関係ないんです。
また、更に言えば、女性の視点や感性が今後はものすごく重要になるとも感じていました。以前は、「より良い製品を作ることにのみ注力する」時代でしたが、今後は加えて、その製品のシステムの色合いやアプリケーションに、デザインやセンスが求められるようになってきました。
製品としてのブランド力を高めていくためにも、感性が重要なんですよね。そういう意味では、やはり女性の方が柔軟だし「こうした方がいい!」という感覚は非常に的を得ていることが多い。
そういうことを考えて当社も3年前に、「5年以内に、全管理職の15%を女性にする」という目標を掲げました。女性も全員が「管理職になりたい」と思っているわけありませんし、「子どもが小さいうちは育児に重きをおきたい」「役職につくよりも、今の自分のスキルを深めることに力を注ぎたい」など、個人の意思を尊重しますが、「上を目指したい!」と思う人が手を上げにくい状況はいけません。やりたい意思のある人が、ちゃんとチャレンジできるるようにしたい。
そのためには、社長である僕が率先することが最も重要だと考えました。
例えば、最初に育休を取得した社員には、僕が直接育休中にメールをしていましたし、復帰後も10回以上直接僕がヒアリングをしました。
ヒアリングしまくってうっとおしかったかもしれませんが、おかまいなしで聞きまくりました(笑)
「育休中に僕からメールきて、うっとしくなかった?」
「実際どんなフォローがあったらもっと良かった?」
「復帰して有給って使える?半休は十分?それとも時間単位でとれる有給がいい?」
と、人事部に丸投げするのではなく、現場を社長がまず知る。そして人事部と一緒に、人事制度も含めて変えていく。その姿勢が現場に「社長は本気だ」というメッセージとして伝わると考えました。
ー高野:まさにおっしゃるとおりで、社長の本気が伝わることが最も重要ですよね。女性社員さんにとっては希望になりますし、管理職の方にとっても「これはやるしかないんだ」という覚悟にもなりますよね。
ー抱:はい。そして2年かかって、この度女性リーダーが3名誕生しました!その中の一人は、育休から復帰したママ社員です。ただ、今後のフォローも大切なので、机の配置も僕の目の前に座ってもらうようレイアウトを変更しました。そうすれば、いつでも気軽に何でも相談でき、僕も状況が分かるので良いと思っています。
4.仕事に男女はない。そして今後の展望について。
ー抱:女性活躍に取組むようになって、僕自身も変わりました。それは仕事に「男性も女性もない」ということが腑に落ちたということ。
以前は「女性の営業に数千万円の案件なんて責任重いから無理かな」とか、「女性が、フロントに出ると、取引先との飲みやセクハラの問題も出てくるから難しい」
という思いがどこかにありました。ただいざやってみると、ほとんどそんなことは起こらなかった。案ずるより産むが易しでした。
ー高野:本当にそうだと思います。また現場の女性で、そんな気を使わずにフラットに接して仕事を与えてくれていいのにと思っている人は多いですよね。もちろん第一号になることに不安はありますが、やってしまえば出来るものだと思います。
ー抱:そうですね。「え、こんな大きな額の案件でも、普通にやってのけてるやん!」と新鮮な驚きがありましたし、経験をたくさん積んでいくと、僕にも周りにも「女性だからどうこう」という遠慮はなくなっていきました。
「女性は感情的だ」とよく言いますが、それもデフォルメされたものだともわかりました。そういった世の中の常識に惑わされてはいけません。男性女性問わず、冷静に話したりしっかり価値判断もって仕事する人はいますし、そこに性別は関係ありません。
育休復帰した社員がいる部署でも、最初はみな戸惑っていました。「子どもの発熱で早退したり休むこともあるから、責任ある仕事は任せられない」「時短になった分どうやって仕事を回そうか」と。ただ時が経つに連れて、みなうまく調整してやるようになりましたし「子どもがいても責任ある仕事も任せられる」と感覚で掴み始めています。
すると以前は「うちの部署には体育会系の男性が欲しい」と言っていた管理職が「女性もどんどんウェルカムです!」と言い出すようになりまいsた(笑)風土も徐々に変わってきていることを肌で感じています。周りも日々驚きながら、楽しんでる感じがしますね。「仕事に男女関係ない。でも女性の視点は大いに活かして欲しい。」です。
ー高野:風土を変えることは一朝一夕にはできなくて、日々取り組んでいく中でいつの間にか自然と変わっていくものですよね。だからこそ、そこまで風土が変わられた企業は本当に強いと思います。
ー抱:当社はIT企業なので、ラッキーです。在宅ワークや遠隔での仕事も可能です。また、体力を要求される仕事でもないので、男女問わず活躍できます。
ー高野:なるほど…ありがとうございます!話は変わりますが、抱社長はお子さんがおふたりとも女の子なんですよね。お子さんの教育は、どんな風にしてこられたのですか?
ー抱:女の子と言っても、長女は大学を卒業して働いていて、次女も大学生になりました。本当に子どもの成長はあっという間です。長女は先日「自分が入社した会社の株価があがってるから嬉しい!」と言っていましたね。「へ〜そんなこと思うんだな〜」と聞いていて面白かったです。
子育てについては、僕は「女性だから男性だから」ではなく、いち「個人」として接してきたつもりです。もっと言えば、親と子とというより、お互いをいち「個人」として尊重しあえるように意識してきました。自分がやりたいことがあれば、自分の責任のもとでやってみたらいいし、自分の進む道も、親が与えるのではなく、自分で見つけていけばいい。そんな風に思って育てていたら、気づけば2人とも親がびっくりするほどアクティブでパワフルな女性に育ちました(笑)
ー高野:素敵!です私も2歳の娘がいますが、自分で自分の道を切り開ける人になってほしいと思っています。これからは、男性女性関係なく、そうやって自立できる人でなければ生き残っていけない時代ですもんね。最後に、今後の抱社長の抱負を教えて頂いてもよろしいですか?
ー抱:はい。冒頭からずっとお話しているように、「日本のものづくりをITで支える」という思いはこれからも変わりません。製造業は以前より『3K(汚い、きつい、給料安い)の世界』と言われてきたんです。でもね、「ものづくり」こそが戦後の日本を支え、この国を成長させてきた。OECDの製造業の占める割合が20%を超えるのは、実は日本とドイツだけです。
資源もないし、金融大国でもない。つまり、ものづくりによって支えられている国が日本です。
だからこそ「日本のものづくりをITで支えていきたい。」そして変えていきたい。
それには、男性も女性もありませんし、やる気のある社員さんには、当社で長く活躍してもらいたいです。当社は、一回辞めて他の会社に勤めてまた戻ってくる社員も多いんですよ。そういうのはとても嬉しいですね。
「企業は人なり」人生を通じて社員を応援し、社員も誇りを持って働ける。そんな会社をこれからも作っていきたいです。
「企業は人なり」という言葉はあまりにも有名。そしてこの言葉をまさに体現されているのがエクスという会社でした。様々な修羅場をくぐり抜けておられるのに、物腰は驚くほど柔らかく謙虚。「女性がついていきたいリーダーシップがここにある!」と実感した抱社長のインタビューでした。ありがとうございました!
株式会社エクスについて
設立:1994年9月1日
事業内容:生産管理パッケージ(Factory-ONE 電脳工場シリーズ)の開発・販売等
大阪本社:〒531-0072 大阪市北区豊崎3-19-3 ピアスタワー20F
代表者:抱 厚志(かかえ あつし)
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