働く女性の皆さんこんにちは。毎回大好評の、女性が活躍するベンチャー企業の社長インタビュー。
今回のゲストは、株式会社PALの辻有吾社長。大手総合スーパーの倉庫・物流関係を、人材募集、教育からオペレーションまでまるっと引き受ける物流オペレーションを基軸にしたロジスティックス・サービスを手がける会社です。ITツールを駆使して柔軟な最先端な働き方を実現され、スタッフの半数以上が女性でみなイキイキされている。そんな素敵な会社を創業された辻社長に本日はお話をお聞きしました!
1.父親からの家庭教育が自分の基礎になっている。
ー辻:僕は今、2人の娘と1人の息子の親なのですが、親として子どもの教育をとても大切にしています。
・両親がお互いに尊重しあい、仲良しでいること。
・子どものうちから様々な経験をして、自分の視野や可能性を広げること。
・子どもだからと単に叱るのではなくちゃんと言って聞かせること。
あげれば色々あります。僕は国内だけでなく海外への出張も多いので、家をあけることが多いです。でも、家に帰った時は奥さんとじっくり話す時間や、子どもと遊んだり向き合う時間を必ず作ります。
とはいえ、上の2人の子どもの時は寂しい思いをさせたかもしれないと思い、末っ子の娘が生まれてからは、会社の近くに自宅を引っ越し、できるだけ側にいられるように家族との時間を大切にするようにしています。そんな風に子ども教育を大切にするのは、両親、特に父親の影響が大きいですね。よく「若くして会社を立ち上げられたということは、ご実家は商売をされているのですか?」と聞かれるのですが、僕の父は公務員です。
ー高野:そうなんですか!勝手なイメージで、ご実家は商売をされていると思っていました。
ー辻:そんなこと一言も言ってないですし、完全にイメージですよ(笑)親戚に商売をしている人はいましたが、父は逆に堅実な道を選んだ人でした。父からは「辻家はちゃんと自分でお金を稼いで、自分の力で食べていける人になるんやぞ!」と叩きこまれていました。
子どもの頃は、書道や空手、合気道、サッカーなど、習い事をたくさんさせてもらい、「個人の習い事では徹底的に自分と向き合え。団体で競技するなら、やるからには上を目指せ!周りのことを考えて自分が動かないかんと思ったら、率先して行動しろ!」と父から教わっていました。
美術館にもよく連れて行ってもらいましたね。でも、子どもだから分からんのですよ、その絵がすごいのかどうなのかなんて。
でも、「有吾、この絵を見てどう思う?」と父が聞いてくるわけです。子どもながらに「う〜ん、ここに立ってる人はこう考えていて、こんな出来事があったんやと思う。」と答えると、「そうや。絵には必ず伝えたいことがある。画家が伝えたいことは何か、真意は何か、常に考えて見てみるんやで」という話をしたり…。
世の中の裏側を知ること、起きていることの本質を見極めること、そういったことを、厳しくも温かい愛のある父から教わった子ども時代でした。
ー高野:…そうなんですね…すごく素敵なお父様だったのですね…。立派になられた今の辻社長のお姿、お父様も見たかったでしょうね。
ー辻:…ちょっと!!!勝手に殺さんといてや!親父まだ生きてるし!!!(笑)…そういう父の教えのもとで育ったので、僕ら男3兄弟はみなリーダーシップがあります。ですから、僕が18歳の頃「将来起業する!」と決めことは、ごく自然な流れでした。「自分の足でたつ。稼ぐ。そしてやるからには、ビックになりたい。」そう思っていました。
2.3年の修行、そしてPAL創業へ。
ー辻:一日も早く社会に出たいという思いがあったので、高校卒業後は、夜間の大学に通い、昼間は働いていました。バイト先は小さな卸問屋で、社長は年配の普段は物静かな人でした。そんなある日、商談の場に僕も同席させてもらうことがありました。
こちらが買い手、先方が売り手でしたが、先方が当時の親ほどの年齢の方だったので、僕は遠慮をしてしまい、結局相手ペースで話が進んでしまいました。するとその商談の後、社長から「辻くん、ちょっとこっち来なさい」と呼び出されまして…。
『辻くん、今日はな、向こうが売り手で、こっちが買い手や!
買い手なんやから、もっと堂々として、ちゃんと交渉せないかん!
相手が年上なんて、関係ないんや!年齢で仕事したらあかん!』
こっぴどく叱られて、ガツーンと頭を殴られた気がしました。それ以来「僕は絶対に年齢で仕事しない」と決めました。大学卒業後は、若くても実力次第でのしあがれる会社に入ろうと考え、ベンチャー企業に就職。そこで、「3年以内に、部長になれなかったら、それは自分には実力がないということ。そうなったら起業の道は諦めて、一生サラリーマンとして生きる!」と決めました。
ー高野:すごい、ストイックですね…っていうかドM…。
ー辻:ドM(笑)。昔から自分を追い込むのが好きですね。新卒で入社した会社では、「経費削減関係の商材を総務の方に売る」という営業の仕事につきました。大学時代にある程度仕事の基礎はあったので、新人だからといって全く物怖じしませんでした。
初日に朝礼で「新入社員の辻です!」とみなの前で挨拶して研修を受け、その日の退社後速攻名刺を作りに行きました。
ー高野:え、自分で注文するってどういうことですか!?普通名刺って会社から支給されるんですよね。
ー辻:そうなんですが、待てなかったんです。新人にはまず「名刺獲得キャンペーンでどれだけたくさんの名刺を集められるか」というミッションが与えられるのですが、やるならダントツ一番になりたいと思っていました。周りと一緒にはされたくなかった。
でも新人にはチラシしか配布されず、名刺をもらえない中で、名刺をもらってこいと言われるんですよね。でも「自分に名刺がなければ、相手から名刺は頂けない」と思ったので、初日のうちに自分で名刺を作りに行きました。
入社して3日目で現場に出て、ビルの上から下まで毎日名刺を100枚以上配りまくる。そして次の日に「昨日お伺いした辻です。経費削減がわれわれの仕事、必ず損させませんので、アポイントの調整して頂けませんか?」と、片っ端からして電話をしてアポイントをとりました。
先輩からは「おまえまだ営業研修で電話対応教えてないやろ!」と言われましたが「大学の時仕事してたから分かってますんで。」と、普通に電話していました。
ー高野:おぉ…まだ3日なのに商品知識はおありだったのですか?
ー辻:いや、全然りませんよ(笑)。でも「絶対損はさせない!」と自信を持って言えば、相手には「こいつは若いけどなかなか信用できそうな営業やな」と思って頂けます。入社1週間後には初受注をし、1日の受注記録を作ったりしました。なんせ「3年で部長なれなかったら一生サラリーマン」と決めたので、自分に言い聞かせて必死で働きました。
ー高野:当時の先輩からは、「こいつは生意気だ!」とあまりよく思われなかったこともありましたか?
ー辻:はい。生意気なくせに営業成績は良かったですから(笑)よく嫌味を言われましたが「悔しかったら、営業成績で僕に勝ったらいいじゃないですか」と開き直っていました。でも、当時の僕の上司が、僕が辞めた後にPALに入社してきてくれて、今は僕の部下として頑張って下さっています。ちゃんと見てくれている人はいるんですね。
その後3年で部長になり、営業企画、テレマーケティング部や小会社の立ち上げ等色々経験させて頂き、濃い3年間を過ごしました。そして24歳の時、当時付き合っていた妻と結婚し、26歳で前職を退職して独立しました。
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