Woo!ネタリストであり、社内初の”時短管理職”という肩書を持つ井本七瀬さん。プライベートではワーママのロールモデルをシェアする”パワーママプロジェクト関西“というプロジェクトの立ち上げと運営をされていて、「仕事」に「育児」に「プライベートの活動」にとても精力的。3足のわらじをはきこなす井本さんですが、そのパワーと笑顔の裏には、様々な経験を乗り越えてきたこその強さがありました。
1.前に出れなかった自分を変えた高校時代の「成功体験」
ー井本:私の母はフリーのコピーライターをしているのですが、その姿がとても格好良く、自慢の母でした。そして「私も大人になったら絶対バリバリ働くんだ」と思って育ちました。
今でこそ人前で話したり、パワーママプロジェクト関西の運営で前に出たりする機会も多いですが、昔は全然こんな性格ではありませんでした。「人前に出てみたい。色々やってみたい」という気持ちはあっても、周りの目が気になって一歩前に踏み出せない子どもでした。
そんな私が変わったのは高校時代。憧れの高校に入り、「環境が変わった今が自分を変えられるチャンス!」と思い、いわゆる”高校デビュー”しました(笑)とても自由な校風の高校で、「頑張る人が応援される、思いっきりやるのがカッコイイ」という雰囲気が、とても心地良かったですね。高校のことが大好き過ぎて、生徒会長にもなりました。
あれもこれも大忙しの毎日でしたがその時に「私もやればできる!」という大きな自信を得ることができ、「やる」と決めてしまえば大抵のことはできるということを学びました。
ここから私の欲張り人生は加速していった気がします(笑)
その後、大学時代にはラジオのパーソナリティを目指し事務所にも所属していましたが、ある時ふと思いました。「このままでは世界が狭いままだ。卒業したらちゃんと稼いで自立したいしやっぱりちゃんと就職しよう」と。
そんな時見つけたのが今の会社でした。
「男女問わずチャンスが与えられる」
「しがらみがなくて若手でも仕事を任されるから面白い」
というところに惹かれて、新卒での入社を決めました。
2.仕事が楽しい若手時代からの急落、立ち直るきっかけになった夫の言葉とは?
ー井本:会社では人材紹介の営業兼キャリアコンサルタントをやっていました。初めのうちはテレアポして一件一件開拓することからはじまるのですが、営業マン時代はとにかく忙しかったですね。
それでも思いっきり仕事ができること、常に新しいことを経験できることが楽しくて仕方ありませんでした。
数字も順調で周囲からも評価されていた3年目。転機が訪れました。
“結婚”です。25歳の時でした。夫は3歳年上で、大学1回生の頃からのお付き合いだったので、結婚の話になった時断る理由はありませんでした。
そしてもう一つの転機がリーマン・ショックですね。他の業界もそうですが、例に漏れずうちの会社も大打撃を受けました。当時、自分はチームでも一番の稼ぎ頭であり、チームリーダーとしてもやっていかないといけない立場だったので「私が頑張らなければ!」と思い込んでいました。
でもチームの成績はあがらなず、雰囲気も悪くなり、おまけに私は新婚で「奥さんが家事をしっかりやらないと!」と思っていたので、かなりパンク気味になり…。
『週2はご飯作ります。その代わり週1はめっちゃ残業します。残りは、臨機応変にしよう!』
と決めて、夫にも理解してもらっていましたが、毎日これでいいのかと悩む日々が続きました。
そんなある日、夫がこう言いました。
今住んでるこの”家”あるやん。二人で思いっきり押してみようっていったら、いける気するやん?でもさ、このコンクリートの塊は、絶対動かへんやん。それはおまえのせいじゃないやん。それと一緒やで。
「自分の力でなんでもできると思うのは逆に傲慢だった」と気づきました。すると気持ちがすーっとして、救われたんですね。
昔から、私は何でも自責にする癖がありました。「この状況は、環境が悪いと言えばそうだけど、でもきっと全部自分の努力が足りないせいだ」と。
それ以降も、辛くなったらその言葉を思い出しています。
ー高野:めっちゃいい旦那さんですね!!
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