働く女性の皆さんこんにちは。印鑑のインターネット通販No1企業として有名なハンコヤドットコムを運営する株式会社AmidA(アミダ)。一昨年より、印鑑通販事業にとどまらず、インターネットを活かしたデジタルマーケティング事業を行う会社になるべく、大きく舵を切られました。(なんとこれを機に、会社を分割しハンコヤドットコムの親会社としてAmidAを設立されました。)女性社員比率も高く、最近はママ社員も増えてこられたAmidAの創業者、藤田優社長に本日はお話を伺いました。
1.ハンコとの出会いは意外なものだった。
ー高野:本日はよろしくお願いいたします。藤田社長はもともとどのようなお仕事をされていたのですか?
ー藤田:父親が大阪のミナミで飲食店を3店舗経営していて、僕も大学在学中の20歳から30歳までそのお店で働いていました。父親の会社を継ぐつもりで働いていましたし、会社が成長していくのがとても面白かったので、「僕はこんな父親を持って幸せだな〜。」と思いながら充実した日々を過ごしていました。
ー高野:そうなのですね!「ハンコ」とは縁のない環境で育たれたのですね。
ー藤田:はい。当時、メニューの構成を考えたり、デザインをすることが好きだったので、お店の飲食のメニューは外注せず僕がワープロで作っていました。そんな中1995年に、Windows 95が発売されました。
衝撃でした。「これは面白い!」と思い早速購入し、お店のメニューを作り始めました。また「メニューをサイトに載せるとホームページになるらしい」と知り、お店のサイトにメニューを掲載してみたんです。
これが、僕がインターネットと出会ったきっかけです。ホームページのデザインやプログラミングは、僕にとってたまらなく面白かったので、どんどんのめり込んでいきました。
ー高野:当時のホームページと言うと、テンプレートはありませんし、もちろん自分でコードを書いて作られるわけですよね。またデザインセンスも要求されますし…すごいですね。
ー藤田:祖母が絵の先生なので、そのDNAでしょうか…(笑)おっしゃるように、コードも自分で書くわけですが、当時の日本はまだインターネットが普及していなかったので、海外のサイト見ながら独学で作りました。
その頃ですね、「自分でネットサービスを立ち上げてみたい」という気持ちが湧いてきたのは。
当時は、父親の飲食店で働くことが主で、ネットは隙間時間でやるしかありませんでしたが、時計、香水、メガネ等、考えられる商材を色々試してみました。そんなある日。はんこ問屋をしている友人から「うちのハンコ売る?」と言われて、ハンコを卸してもらいネットで売り始めました。これが、「ハンコのネット通販」を始めたきっかけです。
ー高野:そんな身近なふとしたきっかけから…。ご縁ですね。
ー藤田:その後しばらくして「ハンコヤドットコム」というドメインを取得して専用サイトを作り、「僕はこの事業でやっていきたい」と父親に伝えましたが、もちろん父親は大反対。
「おまえをはんこ屋に育てた覚えはない!」と面と向かって言われてしまいました。
そりゃそうですよね。後を継がせるつもりで働かせていた息子が、急に「インターネットでハンコを売りたい!」なんて言うんですから。また当時は、「怪しい」「クレジット情報が盗まれる」等といった風潮があり、インターネットに信頼が無い時代でした。おまけに、当時の毎月のインターネット回線代は10万円もしたんです!
ー高野:じ、10万円!?高すぎます…。一般人が自由にネットを利用するなんてまず無理ですね。
ー藤田:おまけに、通信速度がものすごく遅いという…。今はネットが安くて速い、良い時代になったとつくづく思います。そこから「どうすればもっと集客できるか」を考え、対策をするという繰り返しの中で、1999年頃から、サイトの売上が上がり出しました。そして当時自分がいたお店の売上を超えるようになり、結果的に月に600万円の売上をあげるサイトになりました。
そのことを父親に伝えると「そんなに儲かるもんなんか!?それやったら頑張れ!」と言ってくれまして(笑)、2000年に独立しました。
2.入社第1号社員が今でも一緒に頑張ってくれています。
(おとなのマナーの本をおもむろに広げる藤田社長)
ー高野:今日は、入社第1号社員である糟谷さんにも同席して頂いておりますので、お話をお聞きしてもよろしいですか?
ー糟谷:はい、どうぞよろしくお願い致します。
ー藤田:2000年に法人化して株式会社ハンコヤドットコムを設立しました。当時学生のアルバイトスタッフはいましたが、常勤アルバイトスタッフとしては糟谷は第1号なんです。
ー糟谷:インターネットで求人を探していた時、たまたまハンコヤドットコムの求人を見つけました。サイトを見てみると、ホームページもしっかりしているし、インターネット通販の実績もあるなぁと思って。当時は、「インターネット通販なんて危ない」と言われていましたが、私はインターネット自体には大変興味があったので、応募してみたのがきっかけです。
ー高野:すごい偶然ですね。
ー糟谷:はい。当時は、1階が居酒屋、2階が麻雀店という雑居ビルの3階にハンコヤドットコムの事務所がありました。当時はIT会社は怪しいと思われていた時代だったので「ちゃんと社長もいるし、部屋の中も綺麗やし、いいやん」と思いました(笑)そして、社長に面接していただいて、その場で入社が決まりました。
ー藤田:採用の募集をかけて初めて来てくれた方だったので、「よく来てくれた、即採用!」という感じでした(笑)…というのは冗談で、お話すると素晴らしい方だったので、是非一緒に働きたいと思いました。
ー糟谷:ところが、初出社の日、社長が寝坊して事務所のカギがなく、会社に着いたのに入れないというハプニングが起きました(笑)
ー高野:…いきなり、強烈ですね。
ー糟谷:びっくりしましたが、こんなおっちょこちょいなところもまた、社長の魅力です(笑)
ー藤田:すみません…。理解のある社員さんたちのおかげで、当社の業績は創業以来右肩あがりです。リーマン・ショック等の影響を大きく受けることなく、ここまで来ることができました。ただ、組織や人の問題では苦労しました。
僕はなにせ会社勤めをしたことがなかったので、組織論が全く分かっていませんでした。父親のお店で10年働いていたとはいえ、飲食業界では、店舗に社員は店長1人、あとは全員アルバイトというお店が多いんです。「会社はそういうものだ」と思っていたので、当時は僕以外全員アルバイトスタッフでした。ですから、雇用、労務対策、システム関係、お客様とのトラブル対応、あらゆることが全部僕の仕事でした。
「社長〜お客さんめっちゃ怒ってます〜電話代わってください」
「え!?また!?」
という会話も社内ではしょっちゅうでした。当時はスタッフの入れ替わりも激しかったです。
ー高野:その状態の頃も、糟谷さんはずっと御社で働いておられたのですね。
ー糟谷:当時は、1人でも休んでしまえば、明日の出荷が追いつかない状況でした。注文はどんどん来るし、お客様は待っておられるし、出荷も追いつかない…。社長や専務もみなで一緒に出荷作業をして、毎日終電まで当たり前で働く日々でした。お客様から頂く喜びの声や「ありがとう」という言葉を日々の支えに、乗り切っていた感じです。でも今思えば、大変貴重な経験ができたなと思っています。
ー藤田:当時一緒に乗り越えてくれた糟谷やみなには、感謝の気持ちでいっぱいです。そして2008年の頃「この状態ではいけない」という危機感から、EC関係の経営者仲間が集まる勉強会に参加するようになりました。
そこで、今の会社の状況を洗いざらい、全部さらけだしました。
するとある社長から「藤田さんの会社はまるで、大地からぐわ〜っと伸びる”もやし”や!そのままやといつか折れてしまう!」と言われました。「うまいこと言うな〜」と思いましたが(笑)…本当にそのとおりだと気づきました。
そこから、間接部門の担当者を2人採用し、会社の大変革が始まりました。
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