大手企業×ママ×コーチング-こんどうさちさんの「Love the life you live, Live the life you love -自分の人生を愛し、自分の愛する人生を-」


Chapter2.これまでの私

2-1:幼少期の母からの影響

ー子どもの頃から働こうと思っていた?
はい、祖母も母も働いていたので逆に専業主婦のイメージがなかったです。私が大学に入学する時、母から言われて今でも印象に残っている言葉があります。「大学生は、時間はあるけどお金がない。でも社会に出たらその逆。お金は稼げるようになるけど今度は時間がない。どんなにお金を積んだって時間を買うことはできないから、時間がある今はやりたいことを思う存分やったらいいよ。そのために必要な費用はいくらでも出してあげるから」と。恐らくこれが私の「大人になる」ということの原点ではないかと思います。「大人になる」ということは「自立する」ということであり、「経済的に精神的に自立した女性がいかに自由で格好いいか」母はそれを教えてくれたように思います。そして母の言葉を受け、私のやりたいことって何だろうと考えた時、漠然と「将来は海外に携わることがしてみたい」と思っていました。

ーなぜ海外に興味があったの?
高校2年生の夏休みに、アメリカに語学留学に行きました。当時、高校の教科書には「経済大国日本」「GDP世界第二位」という文字が躍っていて、日本のような小国が世界の大国と伍している、その誇るべき凄さが記述されていました。当然私も、「世界2位の国から来た者」として誇り高々授業に参加したのですが、そこにいた留学生達が口々に「日本ってどこにあるの?」と聞くのです。ヨーロッパや南米からの留学生が多くアジア人が一人だったことも影響していると思うのですが、これはショックでした。実際に地図を広げてもらうと、日本は本当に極東、地図の隅っこにそれはそれは細長く描かれていて。「多分…これ」という私に「これ?中国の島じゃなくて?」と。この時「私はなんて井の中の蛙だったのだろう」と思いました。日本という国を日本の中から見ているだけではダメだ、愛すべき母国であればあるほど、また外からも見なくては、と海外に興味を持つようになりました。

2-2:大学時代ー就活

ー大学に入学してみて、どうだった?
入学してすぐに、国際交流サークルに入りました。沢山の留学生が来日していて彼ら彼女らとBBQをしたりパーティーをしたりと普通のキャンパスライフを送る一方、真面目にディスカッションやディベートをしたりも。高校時代、私はいわゆる地元の進学校に通っていました。とても大好きな母校である一方、東京大学を頂点とする国立大学に行くことが絶対的に是とされ、価値観はとても均一的だったように思います。その世界から一気に様々な考えや価値観が繰り広げられる場に出会った時「違うって楽しい」「違うって面白い」という感動があって。「私が見ている半径何メートルは決して世界の全てではない」「私が握りしめている常識は決して常識ではないかもしれない」「世界はなんて広いのだろう」そんな高揚感がありました。海外に触れるということは、日本や日本人、ひいてはそこにアイデンティティをもつ自分自身をより違った視点から見られるようになる、そこにこそ本質的な意味があるように思います。そして、大学2年生の時、再びカナダへの交換留学に旅立ちます。母の言葉を胸に自分なりにやりたいことはやった大学時代。その上で就職活動を迎えました。

ー時代は就職氷河期、就職活動はどうだった?
就職活動はとっても楽しかったです。出来ればずっと就職活動をしていたかったくらいに(笑)。面接官からされる質問の、その咄嗟の返しの中に私という人間が凝縮されていて、「私ってそんなこと考えていたんだ」と新たな発見があるのも楽しかったし、決して上手く答えられなかった面接の中で、その言葉と言葉の間を上手く汲み取って下さった面接官との出会いも、忘れがたいものです。思えば、この頃にはもうコーチング的なことに興味があったのかもしれませんね。 就職活動は、「グローバル展開をしていて、日本の基幹産業を担う会社で働きたい」という思いで進め数社から内定を頂きましたが、長く勤めたいとの思いから出身地である関西に拠点のある企業を選びました。

2-3:人事部に配属になって

ー入社してまずはどんな仕事をしていたの?
入社後は、コーポレートの人事本部に配属になりました。本当は海外に携わる部署に行きたかったのですが、当時の同期の中には、帰国子女や英語で話す方が楽という人が沢山いて…そんな状況下では、自分が海外に携わる部署に行きたいとは言い出せませんでした。結果、人事本部でのキャリアがスタート。会社の就業規則や社内制度の策定、ポジティブ・アクション等の制度設計、春闘をはじめとする労使交渉等に携わりました。

ー初めてのお仕事…楽しかった?
これが、もう笑えるくらい楽しくなかったです(笑)完全に暗黒の3年間でした。仕事そのものが合わないというより、「人と会わないこと」「人と話さないこと」「資料ばかり作っていること」「一日中同じ場所に座っていること」「性悪説で社員を見ること」そんなことが辛かったように思います。図書館のように静かな居室でたまに鳴った電話を取った時、一日中声を発していないがためにタンが絡まって上手く声が出ないことがありました。その時にもう嫌だ、変わりたいと。当時は顔中ニキビだらけでした。

ーそんな中で得たことは?
制度(仕組み)を変えることの影響の大きさを目の当たりにしました。個の力には限界があっても、仕組みが変われば物事はガラッと、そして一気に変わるんだなと。会社の経営理念と社員の幸せの一致を図りつつ制度設計をする仕事には誇りがもてました。また、特に春闘の際は、新聞5紙に目を通すのも重要な仕事の一つでしたが、この時に読み比べができたことで「てにをは」から「何となくこの新聞社は実はもっと情報を持っていて、明日の記事に掲載してくるかも」というような読みができるようになりました。これは、今提供しているコーチングセッションの中でも「この人は何故○○という言葉を使わずに△△という言葉を使ったのだろう」や「『は』でなかく『が』を使ったのは何故」といった自然な違和感を感じとることに繋がっているように思います。 その他に大きかったのは、入社3年目で同業他社人事部の情報交換会に会社の代表として参加したことです。最年少での参加で、知識不足から沢山恥もかきましたが、会社が何の実績もない私にくれたチャンスと思うと、自然と積極的になれました。月に一回の東京出張。沢山の人に会える機会。ささやかでしたがこの頃のモチベーションを支えてくれるものでした。

2-4:何かが変わった東京勤務

ーその後はどんな風にキャリアップを?
入社して3年が終わる頃、若手ローテーションの一環で人事異動がありました。基本、本部内での異動が一般的ですが、私はメーカーに入ったからには、自社の新商品発売を新聞で知るのではなく、「その商品を作るか又は売る現場に行きたい」と思いました。また先の人事交流会で「日本経済の中心は東京。将来的に関西に拠点を持ちたいのであれば若いうちに東京で働く経験をしておきたい」と思い始めていたので、その希望を率直に伝えました。

ー新しい部署ではどんな仕事を?
東京の携帯部門の部署に異動になりました。勤務地も仕事内容も希望通りで上司の計らいに感謝しかありません。異動後すぐは、オーダーの取りまとめ等をし、最終的には、販売促進の仕事に携わりました。カタログやマニュアル作成、ノベルティの制作、新商品発表の際の展示物制作、PRイベント企画、動画制作など、一連のプロモーションに関わることができ、とてもやりがいがありました。外出のない日はなく、ミーティングのない日はない毎日。いつも納期ギリギリでバイク便を飛ばす日々でしたが、とても刺激的で面白かったです。

2-5:東京勤務から関西へ

ー結婚はどういうタイミングで?
学生時代からお付き合いしていた夫と結婚したのは27歳の時。当時はお互い東京で働いていましたが、入籍する直前に夫の仕事が関西になりました。ただ、私は東京での仕事が面白かったので、しばらくは遠距離婚でいいかなぁと思っていて。そんな矢先、東日本大震災が起こり「やっぱり家族は一緒にいたい」と。そして異動希望を提出、関西への異動が叶いました。

ーそんなに思い通りに異動ってできるもの?
これは本当に上司に恵まれたとしかいいようがありません。何万人も従業員がいる中で、どうしたって全員の異動が希望通りに行くことはありません。当初私も、「関西に戻れるならどんな部署でもいい」と希望を出すべきだとアドバイスを頂きました。ただ…せっかく関西に戻るのなら関西でしかできない仕事をしたいという思いもあり、当時関西本社にしかなかった海外営業の希望を伝え、異動となりました。この異動については社内の人からも度々質問を受けるのですが、もう本当に「人に恵まれた」以外に答えようがありません。ただ敢えて異動希望者側ができることがあるのだとすれば、どこに出しても恥ずかしくないと思ってもらえるパフォーマンスを日頃からあげ、応援してもらえる関係性を周囲と築いておくことや、キャリアアップの面からその異動のビジョンをお伝えすることかなと思います。

ーおぉ…晴れて海外営業部に異動に!働いてみてどうだった?
まさに晴れて(笑)。入社時点で怖気づいた希望が巡り巡ってようやく叶いました。ところが…異動してすぐに妊娠が発覚しました。妊娠自体は嬉しかったのですが、その時の自分の状況では、手放しで喜べる状況ではなく…。私の異動のために尽力してくれた東京の上司にも、新しい職場の方々にも、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで…産休に入るまでに「休んでもらっては困る」と思ってもらえるような仕事をするぞと意気込んではみたものの、妊娠初期には切迫流産、妊娠後期には切迫早産で入院と、ろくに仕事もできないまま、産休に突入しました。

ー妊娠、出産はどうだった?
妊娠そのものはとても嬉しい、でも念願の部署に異動になりこれからという時、関西に戻ってきて会いたい人も沢山いる、正直妊娠中は自分優先の毎日でした。…がッ!人間不思議なものですね。出産した瞬間、自分でも驚くほど母性が「ぶわ~!」と溢れ出てきて…。本当に「何か出てるー」という感じでした。子供が可愛くて、一日中ずっと見ていても飽きない。よく言われる社会と隔離された孤独感みたいものとは無縁で、むしろ子供とべったり居られる幸福感に包まれていました。あまりに可愛すぎて、ここだけの話、退職が頭を過ったくらいです。「会社は希望通りの異動をさせてくれたのに私は何の恩返しもしていない」恐らくこの気持ちがなかったら辞めていたのではと思います。

→こんどうさんが描く未来とは…

 


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