女子大生の皆さんこんにちは。Woo!は主に、女子大生のインターンズが運営をしています。全く「IT」のことを知らなかった彼女たちが、今では記事の投稿からサイトの分析まで、幅広く運営に携わってくれているんです。半年間のインターン期間もあっという間に過ぎ去り、はやいものでWoo!第一期インターンは、今月6月で卒業。今日は、そんな素敵に頑張るインターン山口さんにお話をお聞きしました。
1.学大時代はバスケット中心の生活だった。
ー今回のインタビューは、同志社大学商学部4回生の山口 美桜(やまぐち みお)さん。1995年熊本県生まれ。3人兄妹の第一子(長女)です。
ー高野:今日は、山口さんの魅力をどんどん引き出したいと思います。よろしくお願いいたします。山口さんは、小さい頃はどんなお子さんだったのですか?
ー山口:とてもおてんばな子どもでした。家の中よりも、外で遊ぶのが好きで、父親が休みの土日には一緒に外で鬼ごっこをしたり、小学校からは走って帰るようなアクティブな子どもでした。
また、小学校4年生の時、友達のお姉ちゃんに誘われたことがきっかけでバスケ部に入り、中学高校大学とずっとバスケットを続けています。バスケは試合中も休む暇なくずっと動いているので、自然と体力がつきました。中学校では、バスケと同時に陸上の長距離もやっていました。
ー高野:めちゃくちゃアクティグ!すごい!たまたま始めたバスケットを大学まで続けるというのは、よほどの面白さがあったからだと思いますが、バスケットの面白さって何ですか?
ー山口:シュートを決める面白さと、チームプレーですね。私は背が低い方なのですが、仲間と連携してプレーすることで、自分がフリーになってシュートができたり、無理だと思う試合でも勝つことができたりします。それがすごく面白いんです。大変ですが楽しかったので、特に高校時代は、バスケット中心の生活を送っていました。
ー高野:私は部活はしたことがないので、チームプレーやみなで目標に向かって頑張るというものに憧れがあります。話は少し変わりますが、山口さんは子供の頃から、将来は働きたいと思われていたんですか?
ー山口:そうですね。母が保育士をしているので、自然と自分も将来は働きたいと思うようになりました。働くことは自分にとって大変身近な環境にありました。
2.偶然のきっかけが人生を変える!同志社大学との出逢い。
ー高野:お母さんの影響って大きいですよね。で、その後熊本から京都の同志社大学に入学されたわけですが、なぜ同志社を選ばれたのですか?
ー山口:高校の頃、最初は看護の分野に進もうと思っていました。母がよく「手に職をつけるなら看護が良いよ」と言っていたことと、親しい友達が看護の分野に進むと言っていたので、何となく自分も看護かな〜と考えるようになったんです。
ただ実を言うと、私はもともと英語がしたくて、高校も国際経済科に進学したんですよね。看護とは無縁の環境で…。看護に行こうと思ったのは、将来やりたいことが具体的に決まっておらず「友達が行くなら」という軽い気持ちだけで、どうしても看護をやりたいわけではありませんでした。
そんな中、夏休みの進路相談のタイミングで進路指導の先生から「勉強も頑張っているし、せっかくだったら大学に行ったらどうか」と提案されました。
さらにその先生が「私がもう一回大学に行けるなら、絶対に同志社大学に行きたい。それくらい、いい大学だよ。2日後にオープンキャンパスがあるから、行ってみたら?」とおっしゃったんです。
それを聞いた私はいてもたってもいられなくなり「じゃあ、看護方面に行くのは辞めて、同志社大学のオープンキャンパスに行きます!」と言って、すぐに新幹線のチケットをとり、1人で日帰りで同志社のオープンキャンパスに行きました。ちゃっかり金閣寺や神社をまわって観光もできたので、楽しかったです。
後で先生に言ったら「え!?ほんとに行って来たの!?」と驚かれましたが(笑)
ー高野:すごい行動力!普通なら、「2日後か…もう無理やな」って諦めてしまいそうなのに本当にすごい!お母さんもびっくりされたでしょう!?
ー山口:はい、母も驚いていましたが、「あんたは、どこへ行っても何があっても楽しく生きていけるタイプや」とよく言われます。実際に京都に行ってみて、京都の町並みに触れて、世の中には色々な世界があることを知りました。
高校時代は部活ばかりの生活で、また熊本でしか生活したことがなかったので、大学に行ったら海外に行ったり様々な経験をしたいという思いが強くなり「同志社に行こう!」と決めました。ちょうど、指定校推薦の枠で商学部に1人行くことができたので、勉強して、それで入学しました。
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