3 惑いとリスクを直視できますか?~惑いを払えるのは自分だけ
40代が惑うのは何も最近見られるようになった現象ではありません。実際、私が10代だった30年前、当時40代だった父の頭髪は悩みからあっという間に薄くなり(会社を辞めたら増えたのがまた笑えるのですが)、20代だった20年前、勤務先で出会った40代はどこか悲哀を帯びていました。
2013年、英国の経済誌「The Economist」が幸福度を自己評価してもらう米国の調査で46歳が最も不幸を感じるという結果が出たことを紹介したことが話題になりましたが、日本以外の40代も以前から惑う年代であったのです。それでも平均寿命が70歳前後で60歳までの雇用が保証されていれば、40歳で「先」が見えた道であっても惑いに蓋をしてその道をそのまま進むこともできました。
けれどもこれからは寿命が延びて人生80年、さらに90年、100年となる一方、今後20年は労働市場に参入する若者は減り続けます。そうなると、年金は減ることはあっても増えることはなく、多くの人が70歳、75歳まで働かざるを得なくなるでしょう。
『LIFE SHIFT』も「40歳定年制」を主張した柳川氏もまさにこの長寿化による就労期間の長期化の中で陳腐化する知識やスキル、キャリアの刷新の必要性を指摘しています。こうした主張が昨今、注目を集めたのは、これまでも40歳前後で多くの人が「うすうす、感づいて」いた、「いままでのままじゃ通用しない」という不安が、もはや「逃げ切り」を決め込むことで解消することができなくなったことを突きつけているためではないでしょうか。
4 与えられた仕事を覚える若き日々、やりたいことにチャレンジするmiddle age、その先の人生
私が会社を辞めるまでに築いてきた弁理士というキャリアは、実は私自身が望み、希望したキャリアではありませんでした。新卒で入社した会社で特許課配属が決まったとき、私は「嫌だ」と電話で泣いたと主人はいまでも笑います。そんな「自分で望んだのではない、他人から決められた仕事」でもやってみると面白く、また私にとっては「比較優位」、そこそこの努力で「プロ」として働ける、そんな打算から続けたキャリアです。
私はいま、そのキャリアを維持しながら、30年来の宿願であった里山再生に携わりたいがために、「里山再生」は一人でなしえず仲間が必要との認識の下、「志や目的を共有する異能の仲間」と、プロジェクト単位で協働できる仕組みを創ろうと四苦八苦しています。その四苦八苦は、まさに自分が「役に立たない存在」であることを突きつけられてもがく経験に他なりません。ですが、同時にそれは長年の宿願をかなえるためのものであるというワクワクがあり、自ら望んで選んだ道であり苦しくとも気付き、学びを求めるがゆえに自らの成長を実感できるものでもあります。
40代というのはこのように、苦しみの中に悦びを見出すこと、若さと老いの両方が理解できる、闇の中の光も光の中の闇も知っている年齢ではないかと思います。
であればこそ、まだ気力、体力が残っている40代のうちに副業やプロフェッショナルボランティアなどで「やりたいこと」「何か別のこと」をやってみること、そうして「やりたいこと」「別のこと」を追いかければよいのではないかと思います。40代で「やりたい」「やってみたい」を素直に追いかけて人生を楽しめれば、気力、体力がいよいよ衰える70歳前後から、再び、自分が望むわけではないけれど他人から必要とされる役割を果たすため、自分が持てる時間を喜んで差し出せるようになるかもしれません。
極度のせっかちで、時間をかけて向き合うことが求められる子育てや介護には到底、向いてない今の私でも、やりたいことを追いかけた後の人生なら、自分の時間を自分のやりたいことに費やすのではなく、他人のために喜んで差し出して、子育てや介護を心の底から楽しめるようになるかも。そんなことを夢想しながら、40代、50代でLIFE SHIFTを試みる仲間との出会いが増えるといいな、と思っています。
2
この記事へのコメントはありません。