だてにはげてない対談−巻き込み力の達人浅野千賀子さんにみる周囲から応援される生き方


Chapter2.これまでの私

2-1:新卒で入社した会社で

ー御社は私の前職の営業先だったという・・・
浅野:専務から「高野さんが営業担当でよく会社に来てくれた」と聞いています(笑)さて…私のキャリアスタートは銀行でした。自ら希望し、ローカウンターという相談窓口で、お客様に対する口座開設や諸手続き、相続等の業務を担当していました。

杉浦当時に比べて今は、口座開設が格段に厳しくなりましたね。僕も先日銀行に個人口座開設をしに行きましたが、様々質問され、開設にかなり時間がかかりました。ただ…担当者もノルマがあるから大変そうですね。

浅野:そうですね。今は口座開設が大変厳しくなりました。ただ当時から自分の成績のために「1年後解約していいから新規で入って下さい」という銀行マンはたくさんいたようです。通帳を1冊作るのにもコストがかかっているので、そのような提案は自らお金をドブに捨てるようなもの。「自分の成績のためだとはいえ、それはおかしい気がするな」と当時は感じていました。

ー新人時代から土日を利用してキャリアアップを?
浅野:銀行の仕事は大変面白かったのですが、土日がお休みだったので週末を活用して、自分がやりたいことを模索しようと思うようになりました。当時レストランウェディングに興味があったので、土日はウェディングプランナーの学校に通い、現場実習にも積極的に無償で参加するようになり…25歳のとき、実習先のご縁でウェディングプランナーに転職しました。
レストランウェディングの仕事は大変面白かったです。当時はインカムも無かったので、スタッフ同士の合図は全てアイコンタクトでした。この時の経験から自然と全体を見る目や洞察力が養うことができ、今の仕事にも大きく活かせていると感じています。
その後、ブライダル関係で知り合った夫との結婚式は、自分が勤めていたレストランで行いました。自分たちで結婚式をプロデュースをし、仲間のスタッフのみなに祝福され…大変感動的な式を挙げることができました。参列者だけではなく、スタッフもみんな祝福してくれている空気が、温かくて嬉しかったですね。そしてその結婚式を最後に、その職場は退職しました。

杉浦:そんな感動的な式、なかなか無いですね。素晴らしいですね。

ー育児との両立にもプランナー時代のことが活きているとか?
浅野:はい。2人の育児は時間との勝負です。常にアンテナをはり、様々なことを同時並行しているので、ブライダルで養われた洞察力がいかされていると思います。子どもからは「ママって後ろにも目がついてるの?」と言われることも多い(笑)お陰様でとても楽しい日々を送ることができています。

2-2:「だてにはげてない」杉浦さんとの出逢い

ーそういえば、杉浦さんとの出逢いはいつ?
浅野:杉浦さんと出会ったのは数年前、セミナーの懇親会の場でした。たまたま隣の席になり、そこで色々とお話させて頂いたことがきっかけ。当時私は、今の会社に入社して少し悩んでいた時だったのですが、杉浦さんに色々お話したところ、目からうろこなアドバイスをたくさん頂くことができました。とても嬉しくて杉浦さんに後日御礼メールをすると「それは浅野さんの引き寄せですよ!」と返信頂いたことを今でも覚えています。杉浦さんといると勉強になりますし、何より面白いですね。

杉浦:いえ、そんなたいしたことはしていませんが…。浅野さんは大変積極的で、いつも前向きで素晴らしいと思います。そういえば、浅野さんが新入社員の銀行マン時代の頃からコスト意識をお持ちだったり、お仕事でも多くの方から信頼されているのは、お父様の影響が大きいんですよね。

2-3:幼少期について

ーお父様の影響というと?
浅野:はい。私は大阪で、商売人の娘として生まれました。父は鉄工所の工場を1人で経営していたので、朝早く家を出て夜遅く帰って来る生活。平日はあまり会うことはありませんでしたが、土曜日だけ、近くの喫茶店に連れて行ってくれました。アイスクリームを食べながら話すのが父との大切なコミュニケーションの時間で、そのアイスがとても美味しかったのを今でも覚えています。

杉浦:昔なつかしの喫茶店のシンプルなアイス、美味しいですよね。

浅野:そして小学校に上がってからは、母も日中、父の仕事を手伝いに行くことになり、以来、私は鍵っ子になりました。私が小学生になった時、母から「お母さんは、お父さんのお仕事を手伝いに行くから、鍵っ子になるけどいい?」と聞かれました。姉は嫌がりましたが、私は「鍵っ子」と聞いてワクワクして、「うんいいよ!」と返事したのを覚えています。「鍵っ子」という響きがなんだかとても嬉しかったんですね。

ーなぜ鍵っ子にワクワクしたの?
浅野子どもながらに、大事な家のカギを任せてもらえたことが嬉しかったんです。父からは常々「自立しなさい」と教わっていたので、それが擦り込まれていたのかもしれませんね。

杉浦:浅野さんは「ジリツ」の意思が強く素晴らしいですね。「ジリツ」には二種類あると思うのですが、1つは自分で立つ「自立」が、そして2つ目が自分を律する「自律」。僕は、浅野さんの会社の会長を大変尊敬しているのですが、まさに「自立・自律」を体現された素晴らしい方だと思っています。浅野さんは、お父様や、会長や、素晴らしい方々に囲まれておられますね。

2-4:父の福井行き

ーお父様は今もお仕事を?
浅野:ありがとうございます。父は現在70歳になりますが、今も故郷の福井県で現役で仕事をしています。実は私が25歳の時、父からこのような相談をされました。「今、工場の運営が大変だから福井県に戻り、会社を移そうかと思っている」と。私は「いいと思う。行ったら良いよ。」と二つ返事で答えたので逆に父が驚いていました。当時の私は実家暮らしでしたので、すぐにひとり暮らしのための家を探して引っ越しました。生活費については自分で働いているからなんとかなると思いましたし、私たちのことは気にせず、父には安心して決断して欲しいと思っていました。
そして実際にひとり暮らしを初めたある日のこと。いつものようにお風呂に入っていたのですが、ふと思ったんですね。「あぁ…私は今、電気も、水道も、ガスも、家賃も、全部自分の収入でまかなってる。ちゃんと自立した!」と。大変感激したことを鮮明に覚えています。

杉浦:その感覚、とてもよくわかります。

ーお父さんはその後すぐに福井に?
浅野:その後半年ほどで福井に行きました。今では、大半が大阪の仕事をしている父ですが「今思えば、あの時が決断できるギリギリのタイミングだったと思う」と今でも言っています。鉄工所を福井に移すのは、労力や費用も掛かりましたが、そこは、母の内助の功を元手にして実行できたようです。

杉浦:お父さんも、お母さんも素敵ですね。このご両親にして、浅野さんありですね。

浅野:なんだか今日は褒めて頂いてばかりで…ありがとうございます。両親は人から憎まる人ではないですし、穏やかで素敵な人柄です。未だに義理の父や、上司から「あなたは、愛情たっぷりに育っている。いい笑顔をしている。」と言われるので、両親には大変感謝しています。今の自分があるのは、両親のおかげですし、私がこうして職場や義理の家族にも可愛がって頂けるのは、自営業を営む両親の、あの環境で育ったからこそ。またこの感謝の気持ちは、両親にも伝えるようにしています。いくら家族と言えども、言葉にしないと伝わらないですもんね。

→旦那様との家事分担の工夫、育児で意識をしていることは?…


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