「淡路島移住、海外視察」−Niesul神野沙樹社長のみんなが柔軟に働ける世の中を創り出す自由な生き方。


Chapter2.これまでの私

2-1:学生時代-就職

ー小さい頃から働こうと?
母親が働いていたので「自分もきっと将来は働くんだろう」と思っていました。母は大変パワフルな人で、一緒に社労士の資格取得にチャレンジしたこともあります。

ー就活はどのように進めていった?
当時は就職氷河期だったので「必死で就活しなければ内定はもらえない」と思い、相当数の企業を受けました。そんなある日、機械メーカーの会社説明会に参加したところ、その会社の人事部の方が発した言葉に、心を鷲掴みにされました。「営業の仕事は商品を買ってくれる人がお客様。では、僕たち人事部にとってのお客様は誰か?それは、皆さんのような学生さんです。この会社説明会に来てくれた全員がうちの会社に入社することは無いけれど、これもご縁ですから、就活や進路の悩みがあれば何でも気軽に相談してください。少しでも皆さんの就活がうまくいくよう応援したいと思っています」…なんて素敵な考え方だと思いましたね。
それ以来「人事部は会社の顔で、やりがいある仕事ができそうだ」と人事部の仕事に興味を持つようになり、面接でも「人事の仕事に携わりたい」と伝えるようになりました。

ー何故社労士に興味を?
大学のゼミの教授がきっかけです。「労働法」のゼミに所属していたのですが、就活していたある日ゼミの教授と話した際、「人事部に興味がある」と答えたところ、教授が「人事系の資格の1つに、社労士があって、入社してから役に立つはずだから勉強してみたら?」とおっしゃったんですね。「じゃあ社労士の資格とっとこうかな」という軽い気持ちで4年生の時に社労士の試験を受けました。本気で勉強していなかったので、もちろん試験には落ちましたが(笑)

ー新卒で入社した会社はどうだった?
結局、人事部の方の言葉に衝撃を受けた機械メーカーに入社しました。総務部に配属になり、株主総会資料の作成や契約書のチェックといった法務部のようなお仕事や、会社の代表電話や来客対応等、様々な仕事を経験させて頂きました。そこに6年先輩で、大変仕事ができる素敵な女性の先輩がおられ、その方から仕事で大切なことの多くを教わりました。仕事の基礎から組織で働くことまで貴重なアドバイスをもらいましたね。また会社では、10年選手の女性の先輩たちが自主勉強会を開催されていました。当時は会社に女性役職者はいませんでしたが、「女性もスキルを身につければ、会社の中でしっかり意見が言え、自分のポジションを確立することができる」とその時知りました。これらのことを新人の頃に感じられたのは良かったですね。

2-2:最初の転機

ー希望した人事部ではなく総務部でずっと仕事をしていた?
はい。「いつかは人事部に行きたい」という思いを心のどこかで持ち続け、社会人3年目になったある日のこと。「そういえばもう一度しっかり勉強して社労士の資格を取ろうかな」と思い始めました。思い立ったが吉日な性格なので、それからは会社に勤めながら、資格取得のために週2日学校へ通うことに。すると母が私に感化されたのか「私も社労士の資格を取る!」と言い出しました(笑)母はその時、勤めていた会社を辞めたタイミングで、休職期間を無駄にできないと奮起したようでした。母と2人でチャレンジして私だけ落ちるわけにはいかないので、必死に頑張りましたね。社労士の試験にはおかげさまで2人とも合格しましたが、母のほうが点数が良かったという…(笑)その後母は転職活動して就職し、現在もその会社で社労士として働いています。

ーその後すぐに社労士に?
いえ。実際は会社の中で活かす機会がありませんでした。社労士の資格をとってから2年間は、残念ながらせっかくの資格を放置せざるを得ない状況に。その後、会社の本部機能が東京に集約されることになり、一旦は東京に転勤しましたが「社労士の資格をこれ以上放置してしまったら、せっかく勉強したことも忘れてしまう。これを機に社労士事務所に転職しよう」と思いたち東京の社労士事務所に転職することにしました。それが26歳の時。会社が嫌だったわけではなく「せっかく資格を取ったのだから活かしたい!」という一心でした。

2-3:さらなる転機

ーその時から将来は独立したいと思っていた?
当時は開業志向は全くありませんでしたが、人生何があるか分からないものですね。私が勤めていた社労士事務所では、社労士向けのセミナーも開催しており、独立開業している社労士に会う機会が日常的にありました。その中には、お子さんを育てながら代表として働いておられる女性も大勢おられ、皆さんイキイキされていたんですね。その状況を見た開業志向を持つ同僚が「神野さんも開業できるよ!やってみようよ!」と言ってきたのです。すると次第に「私もできるかもしれない…」と思うようになり、半年後に会社を退職。当時お付き合いしていた方と結婚を考えていて地元大阪に戻ろうとも思っていたこともあり、退職後は大阪で独立をしました。28歳の時です。

ー独立と結婚が重なった…!?
いえ、結局その方とは結婚しませんでした。女性の人生は、本当に何があるか分からない(笑)女性は男性に比べて、やりたいことにチャレンジしやすい環境にあると思います。もちろん、プライベートの変化で自分の仕事が左右されることは男性よりは多いと思いますが、その一方で、家族を養う責任を持つ男性に比べれば一歩は踏み出しやすいと思います。

ー独立後はどんな風に会社を成長させた?
独立してからは、もといた会社の大阪での仕事を受けつつ、一方で自分でお客様を開拓していきました。「とにかく多くの方に会いに行くしかない!」と思い、交流会やセミナーに手当たり次第に顔を出しましたが、営業経験が皆無の私は、名刺交換した後の繋げ方が分からず…なかなか仕事には繋がりませんでした。ですが、どこかのタイミングで声をかけて頂けるようにと動いているうちに、紹介でお仕事を頂けるようになっていきました。

ーその後出産されて、どのくらいで職場に復帰を?
厳密には出産の翌日からブログを書いたりしていたけど(笑)…復帰という意味合いでは、産後5ヶ月目から保育園に娘を預けて本格復帰しました。自分が出産すると、働き方というよりも「働く時間」が変わった感覚があります。当時私は京都に住んでおり、職場と自宅がかなり離れていたので、16時半に事務所を出ても保育園に到着するのが18時半という状態。そのため、夕方は仕事できない分、娘が寝ている朝や夜に仕事をしていました。育児については、夜は私が保育園に迎えに行き、朝の保育園の送りは夫が担当という風に役割分担をして。最近パパが朝の保育園の送り迎えをする家庭も多くなってきましたね。

2-4:キャリアを繋ぐ中で大切にしてきた想い

ー今まで、どんな思いを大切に働いてきた?
「できない理由」をあげるのではなく「できる方法」を考えることを大切にしてきました。いくら「こんなの絶対無理!人生最大の難関!」と思っても、今まで無事に生きてこられてる(笑)「できる方法」を考えることが、結果として選択肢を広げたり、思ってもみないものが出来上がる秘訣ではないかと思います。
また、最近は積極的に海外に行っています。直近では、カンボジア、ベトナム、台湾等。どの国に行っても、現地で生活している人々にふれ、自分の目で見て肌で感じると、いかに自分が固定観念で視野を狭めていたかを実感するんですよね。

ー日本の女性もどんどん海外に出てみたほうがいい?
「日本で生活してないで、どんどん海外に出て行こう」というわけではないのですが、まず「頭で考える」のではなく、自分の目で見て、自分の肌で感じてみると、想いは変わるかもしれないということです。子どもに「英語を勉強しなさい!」と100万回いうよりも、1回の海外旅行が子どもの心に火をつけるかもしれない。たった数時間飛行機に乗るだけで、そこには価値観も文化も違う世界が広がっています。私はこれからもどんどん行って「さまざまな生き方」を五感で感じ、日本において展開していきたいと思っています。

→「自然」と「人」が共に生きる場づくりを形にしていきたい…


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