Chapter2.これまでの私
2-1:大学時代ー大学院卒業まで
ー就活はどのように?
私は大学では発達心理学を専攻していて、そのまま大学院に行き、博士課程まで進んで研究者になりたいと考えていました。働く人がより健康に生きていくための、キャリア発達の研究をしたいという思いがあったから。そのため、大学3年生から4年生にかけての就職活動は一切していません。就職氷河期で必死で頑張っている友人たちを横目に「大変だねー」と言っていただけでした(笑)
ー実際は博士課程まで行かなかったのはなぜ?
大学院に入り、キャリア発達の研究を続ける中で次第に「このままここにいたら、私はだめになってしまうのではないか」と思うようになりました。周囲は志高く、素晴らしい研究をしているのですが、実社会の中でそれが活かされているとは感じられないことも多く…このまま行くと自分は、世の中の人が抱えているリアルな苦しさから、どんどん離れていってしまうと思ったんです。
そこで、自分が研究してきたことがどんな風に世の中に役立っているか、逆に世の中で何が求められているか、一度自分の目で見て知りたいと思い始めました。
ーそこから、どのように入社する会社を選んだの?
そのようなことを現場で経験できるのはどんな分野かと考え、「人材系なら働くことで悩んでいる人に出会える」と思いました。人材系と言っても、媒体や広告よりも「人」に実際会える仕事。新卒採用の領域か、中途の転職相談の領域か…で悩んだのですが、一度社会で働く経験をして、働く場所や仕事のミスマッチで悩んでいる人の悩みの方が、より深いように思えました。そして、キャリアアドバイザーを目指してリクルートエージェントに入社することを決めました。…が、予想に反して、配属は転職相談の現場ではなく、人事部でした。
2-2:新入社員時代ー教育研究機関へ転職
ー新人がいきなり人事部配属なんて超稀…そこでどんなお仕事を?
はい、レアなケースだと思います。当時は私を含め大学院卒入社が同期に4人いたのですが、全員管理部門配属でした。人事部は、採用と人事企画とに分かれており、私は人事企画の担当に。当時は、大勢の社員や派遣スタッフを採用していたので、入社退社の手続き、契約管理、現場とともに採用した人の配属先決定、人事考課など、幅広く経験しました。
また私は心理学が専門ということで、社内のメンタルヘルス対策を担当することになり、産業医とともに、マネージャー向けの研修をイチから作って実施することもしていました。
まだ何も知らない新入社員の時に、こういった仕事を一通り経験させてもらえたのは、さすがリクルートというか…とても貴重な機会だったと思いますね。ただ、100%完璧な会社は世の中には存在しませんから、人事から社内に発信していることと、実際にできることのギャップに悩むことも多々ありました。
ー新人でそこまで…すごい…その後もずっとここで働こうと思っていた?
いえ、結局リクルートエージェントでは1年半働き、すぐに転職をしました。というのが、人事部で働く中で、理想と現実のギャップや、メンタルヘルス対応で自分が病んでしまいそうな感覚があり…自分は民間企業には向いてないと感じるようになりました。「大学院を出て、あのまま素直に研究者の道に進めばよかったのかなぁ…」なんて思うこともありましたね。
そんなある日、大学院時代のゼミの教授で、ある教育研究機関の副所長になられた方から「今、人が足りてないんだけど、うち来る?」と連絡がありました。ちょうどその頃夫と結婚した時期だったので、これは良いタイミングなのかもしれないと思い、そちらに転職しました。
ーその教育研究機関ではどのようなことを?
発達心理学・教育心理学の研究活動ですね。特に、幼児期の子どもを対象とし、発達に偏りや悩みがある子どもたちの発達検査や教育相談を行ったり、保育園や幼稚園、教育委員会の先生方に、最新の心理学の知見を研修等でお伝えしたりしていました。前職は民間会社で社会人向けに、そして次は教育研究機関で子ども向けに、と全く違う分野のように見えますが、「苦しんでいる人が健やかに生きていくお手伝いがしたい」という部分で、やっていることの根本は常に同じです。
2-3:仕事と育児の両立でぶつかった壁
ー話は変わって、旦那様との出会いは?
夫は、大学時代の友人の弟で、修士2年の冬に付き合い始めました。私は関西の大学院にいて、夫は当時東京で働いていたのですが、私が卒業後本社配属で東京勤務になったことをきっかけに、結婚しようという流れに。入社して2年目の4月に26歳で結婚し、その後に転職したので、見た目には寿退社のような感じでしたかね(笑)
ー旦那様は、岡本さんの働き方についてどう思っている?
夫は「人は人、自分は自分、男も女も関係ない」というスタンスの人。とてもニュートラルで、マイペースです。彼は、勤労意欲も昇進意欲も低めで、引きこもり気質で、出来ればずっと家にいたい。だからといって、そのスタンスを人に強要することもないので、私を見て「すごいねーえらいねーよく頑張るねー、いいんじゃなーい」と、常にそんな感じ(笑)
現在夫は、デザイナーとしてフリーランスで在宅で働いているのですが、以前会社に勤めていた時は、激務で家に帰れないことも多く、また働き方について会社に提案しても変わらないことも多々あり…もともと家族や家が大好きな人なので、とても辛そうでした。一方私は、一昨年の秋までは、16時に仕事を終えて子どものお迎え2園をはしごする、夕方ワンオペ生活で、それもしんどかった。夫が独立して以降は、私がフルタイム、夫が在宅仕事なので子どものお迎えにいく、で、夕飯を家族全員で食べるという生活です。今のほうが、お互いストレスフリーで良い感じだと思います。
ー教育機関での育児と仕事の両立、どうだった?
前職の教育研究機関は大変良い環境で、上司や同僚も素晴らしい方々ばかりで、仕事内容も世の中や人のためになることをしていました。そういった意味で不満はなかったのですが…長男出産を機に育休を取得し、復帰して時短勤務になったところから、少しずつ歯車が狂い始めました。
当時職場で時短勤務の方は珍しく、周囲も私に対してどう対応して良いかわからなかったと思うんです。周りは良かれと思って、難易度が高そうな仕事については「育児があるから大変でしょ?無理にやらなくていいよ」「出張もしなくていいよ」言って下さったのですが、私自身は、もっとやりたい気持ちが常にありました。ただ、子どもが熱を出して会社を休んだりすることも多く、そんな状況でもっとやりたいなんて言い出せず…。
給料は時短勤務になり一律カット、仕事の難易度も下がり、在宅やフレックスなども制度としてなかったため、復帰して1年経った頃には「もっと柔軟な働き方がしたい」という思いがふつふつと湧き上がるようになりました。ちょうどその頃、リクルートエージェントを辞めた同期女子の集まりがあり、そこで偶然土屋と再会しました。
2-4:エスキャリア創業期に参画ー今
ーそれで創業期からエスキャリアに参画したの?
いえ、すぐにガッツリと参画したわけではありませんでした。当時は、エスキャリアは土屋の一人社長一人会社。私は社外活動のような形で、たまに心理学の講師として出向いたり、セッションしたりする程度。1年ほどはそんな感じだったのですが、土屋の「パソコン一台あれはどこでも自由に働ける」という働き方を見ているうちに「楽しそう!いいなー私もそんな風に働きたいなー」と思うようになりました。
ーエスキャリアにガッツリ参画するようになったきっかけは何?
実は…思うように働けないストレスから、不妊になってしまったんですね。なかなか2人目が出来ないなと思い病院に行くと「卵子が育っていない。ストレスが原因」と言われて…夫婦の仲は良かったので、これは仕事で自分がストレスを抱え続けていることが原因だと思いました。その後不妊治療を始めると、有難いことにすぐに2人目を授かり、そこで踏ん切りがつきました。「これは、いつまでもグズグズしていないで、新たな道に思い切って行け!と言われているのかな」と。
母親はこうあるべきという社会の目に見えない抑圧や、働き方をなかなか変えられないという現実を体験し、「制約がある人でも、成果で勝負できる、もっと柔軟に働ける仕組みが今の社会には絶対に必要だ」と思い、今までやってきたことが全てはまった感覚がありました。早速夫に妊娠の報告をし、次に土屋に連絡すると「真梨子、もう、自分でやりなよ!」と言われ(笑)、私はフリーランスになり、パートナーとしてエスキャリアに参画することが決まりました。
ーまずエスキャリアで何をしていったの?
最初は現場でのキャリアカウンセリングから実務をスタートし、身重な時期や産後しばらくは、元々得意なバックオフィス業務をエスキャリアから請け負って働いていました。最初は土屋が1人で営業から経理まで全部やっていたところから、私が「制約があるけども意欲の高い女性が、時間と場所を選ばずに、強みを活かして働けて、チームでサポートしあえる仕組みや体制」に作りこんでいった感じかな。土屋は「真梨子の好きなようにやればいいよー」としか言わず(笑)全て任せてくれました。土屋は、世の中にためになる新たな動きを加速させ、私はフルタイムで動けない女性の苦しみや自分の実体験を持ち込み、それらをかけ合わせたところ、うまく回り始めたという感じで、今に至ります。
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