働く女性の皆さんこんにちは。「江戸時代はイクメンが普通だった」なんて皆さんご存知でしたか?今で言うイクメンは、子どものおむつを変えたり、ご飯を作ったり…という、家事をしてくれる男性を指すと思うのですが、江戸時代は、子どもに学問を教えるという意味で「男性がイクメンだった」ようです。
1.江戸時代の武士の父親は、「教育パパ」だった
当時は今よりも、家督を継ぐ、家系をつなぐということが大切にされていました。武士の家に生まれたら一生武士。農民の家に生まれたら一生農民。だからこそ、子どもはしっかりと家を繁栄させ、繋いでいくことがとても重要だったんですね。
育児の監督責任は父親にあり、父親向けの心得を説くことが、育児書でも一般的でした。花見などの行事や子どもの遊びに父親が関わるのもしごく普通のことでした。職住接近だからこそ、可能であったことでもあります。(livedoorNEWS『江戸時代はイクメンが普通…家事育児分業は大正時代から?』より抜粋)
確かに、大河ドラマを見ていると、父親が子ども達に様々なことを教え説いたり、父と子が一緒にいる場面はとても多いです。戦に忙しく、またパソコンや携帯も無い時代からこそ、きっと今よりも親子で話す時間を大切にしていたのでしょうね。
2.農村では父親の知恵を子育てを通じて伝える構造を確立していた
農村では、父親が農作業で培った知恵や技術を、子育てを通じて子に教え伝える構造が確立していました。賢い子どもを育てることのできる父親が、すなわち仕事ができる、能力のある人間である、という価値観がゆきわたっていたのです。(livedoorNEWS『江戸時代はイクメンが普通…家事育児分業は大正時代から?』より抜粋)
なるほど…。「父親が育児の責任を追う」今とはまるで逆のように思えます。子どもの成長がそのまま、家の繁栄にもつながっていく。その鍵をにぎるのが父親の教育である。
当時はきっと愛情を持った厳格なお父さんが多かったんでしょうね。
また、3世代で住んでいる家も多かったので、子どもの面倒や家事も、みなで分担することができ、親が子どもの教育につかえる時間は多かったのかもしれません。
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