今が人生で一番楽しい!−ビズリーチマーケティンググループ古田晶子さんの仕事も自分の人生も諦めない生き方。


Chapter2.これまでの私

2-1:幼少期ー学生時代

ー小さい頃からバリバリ働こうと思っていた?
いえまったく(笑)母が専業主婦で、周りのお母さんも95%が専業主婦という環境で育ったので、働くお母さんと触れ合うことがほぼなくて。当然私も「将来は専業主婦になって、パンとクッキーを焼いて、子どもの帰りを待つお母さんになるんだ」と思っていましたし「それが女性の幸せなのだ」と刷り込まれていたように思います。 ただ、小学校の時に「ひまわり」というNHKの朝ドラを見たんですね。主人公の女性がバリキャリの弁護士だったのですが、とてもかっこよくて…自分と全く違う世界の話だと思いながらも、どこかで「バリバリ社会で働くってかっこいいな」「目の前にいる誰かを助けられる仕事っていいな」という憧れを抱いていました。

ー中学や高校に行っても「専業主婦になる」思いは変わらず?
はい、変わりませんでした。今思えば「子どもながらにめちゃくちゃ戦略的だな」と思うのですが、中学生の頃には「26歳半で結婚相手と出会って、1年半つきあって、28歳で結婚して、30歳までに子どもを生む」と、具体的にイメージしていました(笑) 「28歳で結婚して専業主婦になるのだから、結婚するまでに一生分働いておこう。深さより広さ優先で、できるだけ多くの仕事を経験しよう」と考えていました。

ー大学時代の就活はどんな感じで?
大学生の頃、地元の政党の議員を呼んで開催するイベント企画の立ち上げに携わっていたのですが、そこで議員の方とやり取りするうちに「大学を卒業したら、地方議員の秘書になりたい!」と思うようになりました。ところが「定期的に募集しているわけでないし、そんなしょっちゅう枠があくものでもないから、卒業後すぐに働くのは無理だよ」と言われて…それまでは民間企業で働く経験をしておこうと思ったんですね。 私はもとから人と人を繋ぐことが得意だったので、そういったディレクションができて、社員さんがイキイキ働いている柔軟な社風の会社がいいという思いで就活し、縁あって大手人材サービス会社に入社しました。

2-2:大手人材サービス会社に入社

ー入社した会社ではどのような仕事を?
地域のアルバイト求人広告の営業をする部署に配属になったのですが、まだ立ち上がったばかりで前任者もいない状態からのスタートでした。私は大手派遣会社の担当チームで、同僚の男性は本店のメイン担当、私は支店のサブ担当になり…本店を担当している同僚に「その会社の支店に営業に行きたいから、あらかじめ繋いでおいてほしい」とお願いして、「ご紹介頂いた古田です」という状態で支店の担当者とお会いしていました。 「支店も予算をお持ちですか?お持ちであれば、うちの媒体に乗り換えてみませんか?」と提案をし、半年でチームが全社MVPを獲得。私も個人目標の180%達成をするなど結果を残すことができ「私、できるじゃん!」と、入社そうそう調子にのってしまいましたね(笑)

ーすごい!新入社員で、いきなり立ち上げ部署でとまどわなかった?
逆に、その環境が自分にあっていたように思います。「大枠は相談するけれど、基本は自分で考えて動く」というやり方は、とても楽しかったです。自分なりに「1週間に1回は80支店すべてに案内を送ろう」「このタイミングで、こんな提案をしてみよう」と、今考えればCRMのようなことを考えてやっていました。ちょうどそのタイミングで、議会側から「1人ポジションがあきました」と連絡があり即決で転職を決めました。

ーえーすごい決断力!
もとから「面白そうな方に動く」という直感を大事にしてきました。また、今までの人生を振り返っても、考え抜いて決めたことより「なんか面白そう」という感覚にそって動いたことのほうが、最終的に良い結果になっている気がしていて。 あと、中学生の頃に「28歳で結婚する」という目標を立てていたので(笑)、「28歳までに議会の仕事ができるチャンスに乗らない手はない!」と思いました。 また、当時働いていた会社が「チャレンジのための退職」を良しとしてくれる、とても良い社風の会社で。入社して初めての面談で既に「将来は何がしたいの?」と質問され、自分の将来について伝えていたので、気持ちよく送り出してもらえる文化があったことは大きかったと思います。

2-3:念願の議会での仕事ー結婚

ー議会ではどんな仕事をしていたの?
あまり知られていませんが、全国には各政党ごとの議員団があり、そこで働く人たちは議会活動に関するサポートをするという位置づけで動きます。選挙カーに乗るなど、直接選挙活動に関わることはできないので、仕事の範囲は議会の活動のみです。 そこで私は「地域住民に対して議会の活動内容を伝える方法を考えてください」という指示をうけ、広報的な仕事を担うことになりました。 ただ一言で「広報」と言っても、一つの県の中には都会もあれば、観光地もあれば、港もあれば…色んな場所がある。ですから「議会活動の内容を伝える」と言っても、議員によってその地域で抱えている課題が全然違うんですね。 都会であれば「交通整備」が課題だったり、観光地であれば「観光客をもっと増やしたい」という課題だったり、ご年配の方が多い地域には、高齢者への福利厚生が課題だったり…40人いれば40通りの議会報告書が必要になってくるので、それを議員の皆さんお一人お一人と話してすり合わせしながら作成していきました。 あと、当時はホームページがなかったので、新たに開設することにも関わりました。

ーおぉ…でも議会で働く環境って、風土や仕事のやり方も全然違うのでは?
はい。まったく違う環境でした。ただ、当時私は23歳とまだ若く、ある意味怖いもの知らずだったので、思い切って仕事ができたのかなと思っています。

ーやっぱり仕事が楽しいから議員団でずっと働こうとは思わなかった?
以前から専業主婦になりたかった私は、プライベートの時間を増やしたいと思い、結婚を機に退職をする道を選びました。 とはいえ、しばらくはバリバリではなくとも仕事自体は続けたいと思っていたので、「今度は人の喜びや楽しさに繋がる仕事で、9時~17時勤務でできる会社で働こう」と思い、大手旅行代理店で契約社員として働き始めました。 営業事務をしていたのですが「私は17時には帰るので、依頼があるときには16時までに言ってください」と周囲にも宣言し、帰宅後は晩ご飯を作って家事もして…と、家庭優先で働いていました。

2-4:シングルマザーとしての決意

ー出産はその頃?
はい。旅行代理店で働いている時に出産をしました。退職したのは、出産予定日の2か月前。そしたらです…!出産直前に、夫がメンタルダウンしてしまい別れを切り出されたんですね。まさに青天の霹靂。その時点で仕事もしていなかったですし、子どもが生まれた瞬間、戦いが始まった感覚でしたね。

ーおぉ…出産前後はメンタルも不安定な時期、その状況で冷静でいられたの?
確かに…ずっと「専業主婦になるんだ」と思っていたところから、ズドーンと突き落とされた感じではありましたが、出産前後でそれどころじゃなかったというか…目の前の子どもに向き合うことに必死で、良い意味で悩む暇が無かったんですね。 また、それまでは、自分の人生が好調過ぎた自覚があって…正直30歳までは、辛い経験はあまりなく、ずっと楽しく生きてきました。だから「絶対いつか、何かが起こるだろう」と思っていたら、「やはりついに来たか」と(笑) ただ、どうにもできないことに落ち込んでも仕方がないし、じゃあ前向きに考えようと気持ちを切り替え、前に進みはじめました。

ーそこから4年経って…今その出来事をどう捉えてる?
今は、心の底からあの出来事があってよかったと思っています。夫婦には当人同士にしかわからない様々な事情があることを知りましたし、人にも優しくなれたと思います。 ただ、息子に男親がいないということは事実なので、小さいうちはそのことで寂しい思いをさせることがあったり、息子自身が乗り越えなければならない壁も出てくると思っています。でも一方で、おじいちゃんやおばあちゃん、保育園の先生といったたくさんの大人から愛情を受けて育つことで得られるものも大きいはず。 そして何より、母親である私が「お母さんは楽しそう」という姿を子どもに見せられることが一番大事だと思っていて…。自分のせいで、お母さんが何かを我慢していると思わせたくない。だから私自身もHAPPYであることを大切にしています。そうすることで、息子に真っ直ぐに愛情をかけることができているように思います。

2-5:ビズリーチとの出会い

ー出産後どのくらいで仕事に復帰したの?
バタバタと子育が始まり半年ほど経過した頃、「そろそろ仕事のことを考えよう」と思うようになりました。高野さんもお子さんがいるのでおわかりだと思うのですが、赤ちゃんと1日中一緒にいると、大人との会話が激減するんですよね。だからまずは、大人との会話に慣れるリハビリから始めないといけないと思って…(笑) そんな時、ビズリーチの「採用アシスタント」の求人を見つけました。社会人になってから「アシスタント」的ポジションの仕事をずっとやってきたので、きっとこれは私の得意分野だとビビッと来ました。また働き方や社内の風土をみても子育てをしながら働けそうだと思い、軽い気持ちで応募しました。

ー軽い気持ちで(笑)実際面接はどんな感じだった?
それがですね、人事担当者の方々が本当に良い人達ばかりで…キャリアの話だけではなく、自分の人間性を理解しようとしてくれていると感じ「ここで働きたい!」と心の底から思いました。面接の1時間も、堅苦しいものではなく「気持ちよくおしゃべりして楽しかった!」という印象でしたね。 また良い意味で踏み込んで率直に質問してもらえて、ちゃんと私のことを知ろうとしてくれている、人を大事にしてくれる会社なのだと感じました。 今思えばですが、新卒で入社した会社では、人と環境とミッションに恵まれてやりがいを持って働くことができ、それが自分に合っていたんですね。とても楽しかった。だからそんな風に必死になれて、挑戦できる環境を求めていた結果、ビズリーチにたどり着いたのかもしれません。

ー古田さんは、なぜいついかなるときも挑戦ができるの?
ちょっと飲み会っぽくなっちゃうんですけど(笑)「難しいことに挑戦するのが大好き」なんだと思います。目の前の仕事をこなすだけではなく、その先にある社会課題や、自分の力だけでは解決が難しいことをなんとかしたいという想いは常に持っています。 私は中学生の時に、広島県内の私立から東京の公立に転校したのですが、同じ日本で、同じ年なのに、都会と地方ではこんなにも教育レベルが違うのかと愕然としました。そこから社会や教育構造について深く考えるようになって…。自分が生きている時代だけではなく、100年後の子どもたちに何が残せるんだろうと、そんな大きなことは残せないにしても、「これをやりました」と言ってから死にたいと思っています。 …すみません、昼間からアツすぎましたね(笑)

ー今とても充実されている古田さん。そんな先輩がいる職場って素敵。
そうですか?有難うございます。実際今が自分の人生の中で、一番良い状態ですね。今携わっているマーケティングの仕事がとても面白いので、マーケティングは一生かけてやっていきたい。離婚したことがきっかけで今の自分があるので、本当にあの経験があって良かったと思っています。 一方で、「専業主婦になるからキャリアは広く浅く」と決めて若手時代を過ごしてきたので、そういった意味では貪欲にキャリアを積んで来られなかった部分もあると思っていて。もっと仕事に真っ直ぐ向き合って、その時々で貪欲に吸収していたらどうなっていたかなぁと思ったり…まぁそれだと今の自分はいないので、結果的にこれで良かったんですけど(笑) ですから将来を不安に感じ、仕事にブレーキをかけている後輩たちを見たときは「本当はどうしたいの?長い目で見てキャリアを考えることは大事だけど、まだ起こってもない未来を考えすぎるのではなく、とことん今を大事にする姿勢も大切だよ」と伝えています。

→古田さんが描く未来とは…

 


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