在宅ワークで世のママに働く選択肢をーフリーランスWEBデザイナー佐多愛美さんの挑戦。


Chapter2.これまでの私

2-1:社会人ー姉の会社を手伝うまで

ーもとからバリバリ働こうと思っていた?
もとから仕事への意欲は高い方だったので、バリバリ働きかったですね。人と会ったり動いたりすることが活力になるタイプだったので、社会人になってからは営業をしていました。逆にパソコンに向かってじっと座って仕事をするなんて絶対無理な性格で…当時はタイピングもできなかったですしね(笑)今の姿は、その時の自分からしたらとても想像できないです。

ー今とは真逆…!では、それがなぜWEBの道へ?
私には2歳年上の姉がいるのですが、姉が25歳の時にWEB制作会社を起業をすることになり、誘われたことがきっかけです。誘われたと言っても姉から「今の営業の仕事で、ずっと食べていけると思ってんの?辞めてうちで働き!」と言われたんですよね。 当時の私は営業でそれなりに成果も出していたので「私は今の会社に必要な人間やから、そんな簡単に辞められへん!」と伝えたのですが「あんたが辞めたくらいで潰れるくらいの会社だったらとっくに潰れてるわ!だから辞めてこっちおいで!」と言い返されて(笑) 結局姉の会社で一緒に働くことになりました。2003年、私が23歳の時でした。

ーWEBに関する知識ゼロで、業界に飛び込んだと?
そうなんです(笑)私は全くのITド素人でしたが、姉のスパルタ指導のもと、WEBディレクターをすることになりました。当時の姉は、25歳にしてWEB業界では有名な存在だったので、起業当初からものすごい量の受注があり大変忙しかったです。今思えば、姉は人と接するのがあまり好きではないタイプなので、自分がWEB制作に専念するために、外交が得意な私を誘ったんだろうなと…。 そして働きだしてしばらく経った頃、姉から「このロゴ制作サイトを渡すから、自分で回して、売上を立ててみなさい」と言われ、一つのサイトを自分で運営するようになりました。この経験を通じて、ディレクションから制作まで一通りの流れができるようになりましたね。 結局、姉の会社で数年働いたのですが、激務だったのでさすがにしんどくなってきて…そんな時、夫との結婚が決まったので、会社を辞めて、夫の出身地である鹿児島に一緒に行くことになりました。27歳の時でした。

ー会社を辞めて、鹿児島へ。お姉さんは何も言わなかった?
実は姉と仕事をしはじめてから密かに「いつかお姉ちゃんに、絶対あいちゃんがおらな無理って言わせてやる!」と目標設定していました(笑)姉はとても仕事ができる人なので、私を見てイライラすることも多かったんでしょうね、「なんでそんなこともできないの!?」と当時はよく叱られていました。 そして夫との結婚をきに会社を辞めると伝えたわけですが、その時に姉からこう言われました。「えー!辞めんといて!あいちゃんがおらな無理やから!」って。 「よっしゃー!」って思いましたよね(笑) 鹿児島に行ってからは、あいた時間で姉から受けた仕事を少しやるという感じで、ゆるーく働くようになりました。

2-2:鹿児島でゆるく働くつもりが、正社員の道へ

ーバリキャリから一転、物足りなく感じたりはしなかった?
いえ、全然(笑)鹿児島で長男を出産したのですが、息子と毎日公園に行って遊んでいました。お金にも時間にも余裕があるなら、毎日子どもたちと遊んで暮らしたいと思うくらい、私にとっては子どもたちとの時間が楽しくて愛おしくて。 ですから当時も、子どもと遊んで、家事をして、あいた時間で仕事をする形でしばらくゆるく働くつもりでいたのですが… 夫が勤めていた会社の状況が急に変わり、私も正社員で働かざるを得なくなりました。「働くならWEB関係で」と思い求人を探しましたが、Google検索しても近所のWEB制作会社の情報が全く出てこなくて…。 ある日近所で、たまたまWEB制作をやっていそうな会社を見つけて、家に帰って調べてみると、「やはりWEB制作会社だ」ということがわかりました。そこで後日その会社に電話して、働くことが決まりました。

ーWEB制作会社なのに、検索でひっかからないWEB制作会社を見つけた(笑)
面白いでしょ(笑)入社してみると、1件1件訪問営業して、提案書を出して受注するやり方の会社だったので、とても驚きました。大阪にいたときは、WEB制作で検索1位で、お客様から問い合わせがくるのが当たり前だったのに、全く真逆の環境で。でも逆に得られることもたくさんありましたね。 ただ、すごい量の仕事を自分で回していたにも関わらず、田舎の地域ということもあってお給料がかなり安くて…「これだけの仕事を、自分1人で受けたら、どれだけ稼げるんだろう」と思ったこともありましたが、フリーランスという言葉は今ほど普及しておらず、独立に踏み切ることはありませんでした。

ーでは、そこからどのようにして大阪でWEB制作のフリーランスに?
その後夫の転職をきっかけに大阪に帰ることになったのですが、そこで待機児童の壁にぶちあたったんですね。正社員で働こうと思っていたので、半年間ほど保育園のあきを待っていたのですが全然あかなくて。保育園は諦め、長男はやむなく幼稚園にいれることにしましたが、それではフルタイムで働くのは難しいので、派遣で週3ペースで働き始めたところ、すぐに2人目を妊娠しました。 つわりもかなりひどかったので「これもう、フリーになって自宅で仕事するしかない!」と思い、覚悟を決めました。そこから、戦いが始まりましたね。

2-3:フリーランス生活スタートー仕事の工夫

ー2人目を妊娠、つわりもひどい中、全てが0からのスタート
毎月生活費を計算し、そこから目標の売上金額を設定して仕事をしていました。今の生活に必要な分を稼ぎつつも、出産後のお金もまかなう必要があったので、本当に必死でしたね。また私だけではなく夫も大変だったと思うので、お互いにその当時の記憶はほぼありません(笑) でもこの経験を通して「短時間で稼ぐ力」を身につけることができました。1日は24時間しかなく、仕事に集中できる時間が限られている中で、目標設定した金額を稼ぐにはどうすれば良いか?そのことを必死で考え、知恵を出して、やってみて、改善して、無駄を省いて、迷ったら徹底的に捨てて…そしてようやく今に至ります。

ー具体的にはどんな仕事の工夫をしているの?
電話は一切使いませんし、メールもほぼしません。今はChatWork一本です。お客様がChatWorkを使われていない場合でも、IDを取得して頂き、やり取りはChatWorkに一本化しています。あとは…「スケジュールは1日単位にブレイクダウンすること」ですね。その為に使い続けているのが「todoist」という、その名の通りやるべきことのTODOを教えてくれるツールです。 例えば10個ものWEB制作案件を同時並行しなければならない場合、1ヶ月スパンでスケジュールを考えるだけでは、漏れがでたり、納期に間に合わず焦ることも出てきます。ですが、日々のTODOリストで「これは今日絶対にやらねばならない」というところまで落とし込んでいると、漏れもなく、全ての案件を確実に納品することができるんです。

ー10案件も同時並行…そんなにアイデアは湧いてくるものなの?
おっしゃるように、いつもアイデアが湧くわけではなく、乗らない日もあります。あとは天候によっても気持ちは左右されますよね。ですから、TODOでやると決めていても、気持ちが乗らなければ、それはやらずに、明日の分と差し替えたりします。 例えば「今日は晴れていてデザインの感性が活かせそうだから、デザインをやろう!」「今日はコーディングの気分だからコーディングをしよう」とその日の気分にあわせてやってみて、もし手が動かなくなったら、すぐに違う仕事に入るようにして。 その方が、全体で見ると生産性が高く、自分の時給をあげることができる。また子どもがいると、なかなか仕事に集中できないことも多いので、そんな時はだらだらやらずに思い切ってやらないようにもしていました。

ー気分にあわせてやるほうが生産性が高い…めちゃわかる
私はイライラすると良いものが作れなくなってしまう人なので…(笑)気持ちにあわせた方がいいし、無駄なことは一切やらない性格。例えば食材の買い出しについても同じことが言えるのですが、買い物に行くのは週1回のみと決めているので、2回以上は絶対に行きません。でもこういったことを無理してやっている感覚は無いので、徹底するのが性に合っているんでしょうね。 もとはこんな性格ではなかったのですが、夫がロジカルでシンプルに暮らすことが好きな人なので、家の中のインテリアについても「これ、要らんやろ?」「それは意味なくない?」と言われているうちに、家からだんだんとものが無くなっていきました(笑)でもこの方が掃除がしやすいから便利ですよね。

2-4:佐多さんが大切にしていること

ー佐多さんって、素直…アドバイスをすぐ実行される柔軟さがある。
そうなんですかね…夫はすごく頭のきれる人ですし、尊敬できる人から言われたことは素直に聞ける気がします。あとは、私がこうやって自由に働けているのは、紛れもなく夫のおかげ。夫がこの環境の土台を作ってくれているからこそ今の私があるので「一生懸命働いてくれて有難う」「自由にさせてくれて有難う」と、感謝の気持ちは常に口に出すことを大切にしてます。そしてそんな親の背中を子供達が感じて育ってくれたら嬉しいです。

ーそれは、誰かの影響?それか、結婚生活の中で中で身についたこと?
おそらく母の影響ですね。私が物心ついた時から、母は父のことをいつも尊敬してて、私たち姉妹にも「お父さんはすごいんだよ」と常に話していたように記憶しています。育児においては、今の姉の子育てから学ぶことがとても多くて。一緒に仕事していたときでは考えられないくらい、姉は今ではとても穏やかで、仏のような育児をしているんです(笑)子どもとずっと一緒にいても、全然イライラしていなくて、焦りもなくて。 私にも「もっとやりたいことをやったらいいんやで~」と言ってくれるのですが、そんな姉の育児を側で見ながら学べることはとても多いですね。姉のように、しっかり稼ぎ、時間にも余裕がある生活を掴み取ることができれば、子育てにも余裕が出てくるんだろうなぁと思います。私も、そこを目指していきたいですね。

ー子育てにおいて大切にしていることは?
う~ん…そんな大層なことは無いのですが、ひとつだけ大事にしていることがあります。それは「子どもがやりたいことは、全力で背中を押してあげること!」です。先日長男が、バスケがやりたいと言ってきたのですが、彼が自分で見つけてきたやりたいことなので、全力で応援しています。 あとは…子どもたちと一緒にいる時間は、パソコンじゃなく子どもたちに向き合うようにしていますね。実は独立直後は、あまりに必死過ぎて、育児の日々の記憶がまったく無いんです。保育園や幼稚園に預けず、子どもの側で仕事をしていたはずなのに、記憶が無い。これはいかんとあるとき思い、今は、子どもたちが帰ってきたらパソコンは絶対にしませんし、休みの日はムツゴロウのように子どもと戯れています(笑)

ー素敵!では、人生において大切にしていることは?
そうですね…まずは「明日死んでもいい生き方をする」ことかな。これは、小さいときからずっと意識してきましたね。そして「その時々の状況を、前向きに楽しむこと」。夫が転職し、全てを売り払って、軽トラ一台で鹿児島から大阪に出てきた時、お金が全然無かったのですが、当時は当時で、とても楽しく幸せでした。 夫と私と長男の3人で、スーパーのチラシに「おひとり様1個限り80円の卵」の見出しを見つけて「おぉ!今日は卵が安いから3人で並ぼうぜー!」と言ってみんなで買いに行ったこともありました。すごく大変だったけど…でも楽しい思い出の方が多いですね。 あと当時はもやしばっかり食べていたので、もやし料理のレパートリーはめっちゃ増えましたし、新鮮な野菜を食べなくてもモンゴル人は健康に生きているわけだから大丈夫と先輩ママから教わり、育児も家事もあまり気を張らず楽しむことを大切に考えてます。 そして育児や仕事の両立でうまくいかない時は、迷わず友達や先輩に相談して発散させること。同じように頑張る仲間と愚痴り合うチャットワークグループまで作りました。(笑)イライラしたらすぐにチャットでぶちまけてスッキリ!心開ける仲間がいてくれるからしんどいことも乗り切れてるんだと思います。

→佐多さんの描く未来とは…

 


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